10月3日(水)、今朝連れ合いが自慢の器に花を入れて写真を撮っていたので、僕も数ショットOlympus E5で撮っているとき、武田先生から電話が入る。午前中用件を済まして午後角町歯科へ歯の治療に行ってついでに長崎くんちの庭見せを見に行くがどうかという。吉田さんも誘うから午後1時か2時ごろピックアップするからと。もう20年以上庭見せは見ていないので是非お願いしたと返事をする。連れ合いに言うと行きたいと言う。車の席が空いていたらいいだろうということにして準備をする。
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by kango416
| 2012-10-14 06:40
10月2日(火)、今朝8時過ぎ、吉田さんが南瓜を4個もって軽トラックでやってきた。小さくていい色合いの南瓜で美味しそうだ。この前もらったとき色合いが綺麗だったから写真を撮っていたので、それを連れ合いにもってきてもらって渡す。彼が朝早くきたのは、午後佐賀県美術館で開かれている「山下 清展」を観に行かないかと誘いに来たのだった。山下 清の絵には関心はあったが、あまりじっくりとは観た記憶がない。いい機会だと思ったので一緒に行くことにする。武田先生にも午後美術館に吉田さん夫妻と「山下 清展」を観に行くとメールで連絡した。
今日はリハビリを9時に予約していたから、遅れないように自転車のペダルを漕ぐ。滑り込みセーフ。すぐに治療室に入り、腰と左脚を温め、腰と脚を伸ばす器具に座り、次はベッドに横たわって自動的にマッサージをする。そのあと脚のうしろの筋肉と筋を伸ばす台に2分間立ち、最後は治療台に俯けに横たわり、電極を腰、臀部、大腿部、脛に二か所当てて2分間刺激してもらい、そのあと先生に脚から背中にかけて丁寧にマッサージをしてもらい、治療は終了する。1割負担ではあるが治療代は160円だった。だいぶ痛みは和らいできた。この調子だと韓国でのワークショップのときには杖の世話にならずに歩けるようになるだろう。この杉谷鍼灸整骨院の待合室の雑誌棚には週刊誌や女性誌に交じってNatipnaru Gioguraphic(日本版)とプレジデントが置いてあるのだ。時期が過ぎて新しい号が入った後どう処理しているのか気になったので、思い切って院長に尋ねたら「スタッフに任せています。聞いてみますから」と言って受付に行って確かめてくれたが、返事は「二三日前に処分したそうです」だった。もっと早くお願いすべきだった。8月号にはモアイ像の謎についての記事が、9月号にはヨーロッパのリッチになったロマの話が載っていたのだが・・・ リハビリが終わって代金を支払って靴を履こうとしていると、院長が出てきて残っていた9月号を「これ持っていかれていいですよ。どうぞ」と言って渡してくれた。有難かった。実は今度のNational Giographicの公募展に応募しようかとふと思ったので、募集要項と応募票が欲しかったのだ。締め切りは10月31日消印有効だから、今から準備しても何とか間に合いそうだ。 午後1時前に吉田さん夫婦が、カローラフィルダーで迎えに来てくれた。奥さんは昨夜遅く仕事が終わったので、今日は休みなのだ。我が家から国道へ出るときわき道に入り塩田川の堤防へ上がった。すると百貫橋の下に漁船が一艘いて手押し網漁をしているではないか。堤防の脇に車を停めてもらい、カメラを片手に堤防を駆け上り数ショット撮影する。それから国道に出て百貫橋を渡り、444を通って東与賀から佐賀市街へ入り県美術館へ。武田先生から今から佐賀へ向かうから2時半ごろ美術館の玄関で会おうと電話があった。駐車場に車を入れて玄関から会場へ入ると右手の広い展示室であっていた。入場料が一人千円。入って順路に従って観ていく。最初は鉛筆画が飾ってあったが、なかなか丁寧に描いてあった。途中から貼り絵にかわったが、これも手の込んだものが多かった。油絵も数点あったが、油絵は彼の描き方に合わなかったようで、数は少ないと解説がしてあった。気が赴くままに描いていく山下 清流の描き方では、絵具が乾くまで待ち切れなかったのだろう。32歳で放浪生活を止めて自宅か学園の部屋に閉じこもって描いたらしい。旅の途中描いたのではないのだそうだ。幼い時に重病に罹り軽い言語障害と知的障害の後遺症が残り、11歳で知的障害児施設八幡学園へ預けられた。そのときちぎり絵細工に出遭い、それに没頭するようになる。当時学園の顧問医をつとめていた精神病理学者の式場隆三郎の目にとまり、指導を受けるようになり才能を伸ばすが、18歳のとき突如学園を抜けだし放浪の旅に出た。その後32歳まで約14年間、連れ戻されては出奔し放浪を続けている。しかし、放浪中描いたことはほとんどなく、実家へ戻ったときや学園に連れ戻されたときに驚異的な映像記憶力で貼り絵をしたのだそうだ。放浪中はノートにこまめに日記を付けていて、そのノートや携行品も展示してあった。そのときの経験をまとめた「放浪記」が出ているそうだが、読んでみたくなった。 放浪を止めてからは東京の自宅で製作に没頭するが、東海道五十三次55枚は5年の歳月をかけて取材して完成させている。また、ヨーロッパにも式場隆三郎らと40日間出かけて、たくさんの作品を仕上げている。全国巡回展130回以上、入場者五百万人以上だったと。「日本のゴッホ」「裸の大将」とその才能は各方面から認められていた。たしかに花火の貼り絵などはゴッホの点描を彷彿とさせる。梅原隆三郎も清の才能を高く評していたらしい。また、元タレントで画家のジミー大西は清の絵に衝撃を受けたとあるトーク番組で述懐していたらしい。 隣の展示場では佐賀県陶芸協会会員の作品展示があっていた。連れ合いも吉田さんの奥さんも焼き物に関心があるので一緒に入ってみる。人間国宝、文化勲章、芸術院賞クラスの人たちも出品していて見ごたえがあった。中里太郎衛門、酒井田柿右衛門、井上萬二、今泉今右衛門、中島宏などなどそうそうたる作家から若手までの大皿や壺、鉢などが展示してあった。観終わったころ武田先生から今駐車場に入ってきたと電話がある。急いで玄関へ出るとこっちへ向かって歩いてくるところだった。すぐに車に乗り込み先生のスズキZのあとにつき、佐賀大学農学部の三号館へ向かう。正門でカードをもらいゲートを抜けてキャンパスに入る。もうひとつゲートを抜けて三号館の前に車を停める。佐賀の市街地は平坦だから自転車通学の学生が多く、駐輪場は自転車であふれている。一番奥の李先生の研究室に行くと先生が待っていた。今度の全羅南道新安郡での「干潟生態観光ワークショップ」の詳しい実施要項を知りたくて寄ったのだが、英文の日程表しかなかった。韓国のかわった風味の珈琲を飲みながらしばらく情報交換をする。詳しいことはあとで連絡してもらうことにして武田先生と別れ、僕たちは鹿島へ向かう。途中吉田さんたちがときどき寄る江北町のうどん屋・山忠に寄ることになる。肥前山口のジャスコの近くで隣は民芸家具などを扱っている木美館。バラエティに富んだメニューがあったが、僕は天ぷらうどんを注文する。連れ合いはやま掛け冷やしうどんを注文したら時間が掛って僕らが食べ終わったころ出てきた。 山下清展の会場 うどん料理の郷・山忠のカウンター #
by kango416
| 2012-10-10 14:41
9月30日(日)、心配していた台風は九州の南海上を北東へ進んだため、北西九州では大した影響はなかった。昨日から天気はぐずついていて今日も曇りがちである。28・29と二日続けて他所油行きをしたので天気もあまりよくないから、休養日にして家で過ごすことに。10時の日曜美術館・瀬戸内で心を癒すアートの旅 大注目の豊島美術館*宇宙に感応!光の作品・を観る。豊島は以前産業廃棄物問題で話題になった過疎の島である。美術館は2010年10月に開館している。一昨年だったか日曜美術館で「瀬戸内国際芸術祭2010」が紹介されていたが、その中で観た映像もあった。瀬戸内海と沿岸の街には大いに関心があるのだが、まだ訪れたことがない。尾道、宮本常一記念館がある周防大島、倉敷、児島湾などには是非行ってみたい。
お茶をしたり雑誌のページをめくったりしていたら時間が経つのは早い。この前新聞に雑誌・BRUTASの広告が載っていたので、早速鹿島書房で手にいれた。これも写真がテーマで「記念写真 記憶に刻む撮影術」とサブタイトルが付いていた。さらに「世界でたった1枚の記念写真の撮り方 篠山紀信の社新緑公開」とあるではないか。表紙には”もっくん”こと元木雅弘一過の記念写真が・・・長男はスイスに、長女はイギリスに留学中とか。リッチだね。しかも二男の玄兎くん(三歳?)も一緒で一家五人の記念写真だった。ほかにホンマタカシ・梅 佳代・川内凛子などの記事や都築響一が聞く、「もう間違えない」カメラ選び・などが載っていて参考になるのでは。 昼飯をサンドイッチと珈琲で済まし、午後は昨日と一昨日撮った写真をプリントしたり、遅れがちなブログの打ち込みをする。また、図書館から借りてきた椅子牟礼道子のエッセイ集「煤の中のマリア」を拾い読みをし、藤原新也の写真集「バリの雫」、「藤原新也 はなおとめ 花乙女」のページを捲って過ごす。エッセイは一項目が4~5ページだから何処から読んでもいい。石牟礼道子の作品には方言がよく出てくる。たとえば「ほんなこつ、いきなり」とか「今日はなんごつですか」「ああ、辛かつがよかですな」などと、短いが土地の人たちの人柄とか土地の雰囲気、そしてその土地の情景が見えてくるような気になる。藤原新也の写真集「バリの雫」は、十数年前に出たときアサヒカメラのグラビアに特集が載っていたように記憶しているが、この写真集のようにスクエアーではなかった。彼はライカを首に提げていた。もう一冊の「藤原新也 はなおとめ 花乙女」も写真はスクエアーだが、これは35mmではなくて6X6判のカメラで撮っている。たしか彼はこのころはハッセルブラッドを使っていたと思う。二冊の写真を並べてみるとその違いがわかる。そういえば”BRUTAS”の記念写真もハッセルブラッドで撮っていた。「本木家」という記事のなかのスタジオでの写真の手前にハッセルブラッドのプリズムファインダーが写っているのだ。PHASEONE,Leaaf,CFVなどのパックを付けてディジタルで撮っているかもしれないが・・・ 今日は天気もパッとしなかったから、干潟を見に行く気にはなれなかった。それで午後もPCの前に座って写真のデータの整理や遅れがちなブログの打ち込みをして過ごした。買い物には行かずに夕食は冷蔵庫の残り物をかき集めて連れ合いがオムレツを作ってくれた。今夜は仲秋の名月ということで撮影できるかと外に出てみたが、東の空は雲に覆われていた。もう一度7時ごろ窓から覗くと雲の間からちらっと顔を覗かせているではないか。しばらく様子をみていると雲が切れてきた。早速三脚を庭に据えてE5に18~135mmを付けて三脚に取り付けて撮影を始めた。雲はあったがかえっていい感じに写ったように思う。 昨夜武田先生から電話があり、10月22日~25日まで韓国全裸南道新安郡(木浦の沖の島嶼群)で「干潟生態観光ワークショップ」が企画されていて、その発表者に武田先生と僕を李オンチョル氏が推薦したとのことだった。詳しいことは李氏が佐賀へ戻ってから連絡するからということだったが、今朝そのことについてのメールが入っていた。企画者は元KORDIの研究者で国会議員もしたことがある諸淙吉・チェ ジョギル氏だった。彼は以前何回も佐賀大学や長崎大学でのシンポジュームに発表者とし招かれていて、僕も一緒に有明海沿岸を回ったことがあった。今回は30分ほど有明海のことを写真を見せながらしゃべってほしいとのことだった。僕は「有明海の伝統漁法と干潟漁について」というタイトルでしゃべることにした。それで写真データを20~30ほど選んでCDかUSBスティックに入れてもって行かなければならない。武田先生は18日からソウル入りしてソウル周辺を観て回るそうで、僕も20日の夕方合流する予定だ。インサドンの先生の定宿”海雲荘”に二泊することになる。北村の古い街並みやシジャンを撮ろうかと考えているところ。しかし、最近足腰の調子がいまいちなので、機材をどうするか悩ましい。645N+ワイド系ズームとOlympusE5/E3にワイド系と望遠系のズームを付けてもって行くつもりだが、ちょっと自信がない。連れ合いが心配して付いていこうかと言ったが、パスポートはないし先立つものもない。 20から武田先生と一緒にソウル入りをしてもよかったのだが、19日の夜は五の宮神社の例祭のお下りがあり、住んでいる三部地区が獅子舞の奉納をするのでそれを撮りたかったから20日になったのだ。本当は22日のお上りも23日の注連倒しも撮らなければと思っていたのだが、韓国行きはネグルわけにはいかない。17日の注連建てを撮って各家庭を回る門付けも19日までに撮れるからいいことにする。ただ我が家への門付けは23日の注連倒しの日に予定されているようだから、そのときはいないから撮れないのが残念だ。祝儀(はな)はあとでも前でもいいのだが・・・ 午後モモタフォートにデータの処理に行く。先客がありデータ処理はあと回しになり、18時25分の電者で帰るつもりだったが、先客の倶楽部員が鹿島駅まで送ってくれたので助かった。駅の駐輪場に置いていた自転車に乗り買い物をあんくるで済まし我が家へ。今日は快晴だったから十六夜の月が上がってくるところだった。我が家に着いてから庭で月にレンズを向けたが、雲が全くなかったので面白くない。三脚までは持ち出さなかった。 十六夜の月 #
by kango416
| 2012-10-07 12:09
9月28日(金)29日(土)、昨夜台風17号は九州の南の海上を紀伊半島へ向刈って通過したため、雨も風も大したことはなかった。天気は台風一過快晴というわけではなかったが晴れていた。リハビリを9時に予約していたので、家を8時半に出た。途中玉ねぎの苗床に水を撒いて、それが逆光に輝いていた。リハビリが済んでからあんうるふじやに寄って買い物をして我が家へ。
早めに昼飯を食べ、午後久しぶりに干潟を観に行くことにする。出かける前に家の造作の進み具合を見に行っていると、大型のコンバインが大きな音を響かせて裏の田んぼの脇の道路に入ってきた。慌てて裏へ回り稲刈りをするところを撮りに行く。コンバインが田んぼに入るとき振動で地面が揺れる。ここは干拓地だから数十センチ下は元の干潟で、深さ20~30mの軟らかい粘土層があるのだ。近所で新築をしているが、そこは5mほどの松の丸太を二本繋いで数十本打ち込んでその上に基礎のコンクリートを厚く打っていた。それに引き換え我が家の基礎は3mの杉の丸太を7本打ち込んでその上に鉄筋を組んで基礎のコンクリートを流しこんだだけだった。大きな梁や柱を使ってあるが、我が家は大丈夫だろうか。ちょっと気になる。 裏作に早生玉ねぎをつくるらしいが、我が家の敷地の端っこに牛フンの堆肥を一山置かせてくれないかと相談を受ける。少し臭いがするがこれからの季節は戸や窓を開けっ放しにしないからいいでしょうと答える。これで玉ねぎはしばらくいただけるだろう。我が家の畑も近いうち吉田さんにトラクターで耕してもらい、野菜や花を植える算段をしているのだが、果たしてどうなるか。100坪ほどの面積があるから、うまくやれば野菜は自給自足ができるかもしれないのだが・・・ 一時過ぎに久しぶりに干潟を覗きに行くことにする。この前手に入れたPENTAX645N用の200mm望遠レンズの試し撮りもしたいし、冬鳥や旅鳥を観察したくなったのだ。連れ合いに三脚を付けたスコープを担いでもらい、自転車の荷台にカメラ3台とレンズ3本を積んでいつものコースで龍神さまの祠がある堤防を目指す。台風の影響か少し風があった。干拓地ではコンバインで稲刈りをしているところや藁を飼料用に丸めているところもあった。先ず竜神さまの祠があるところに上がって干潟を見渡す。今日は中潮だが総島沖まで引いていて、江湖の中で漁をしている船のほとんどが 干潟に沈んだように見える。今日は杉光さんの等勝丸だけが手押し網漁に出ている。祠の下には台風で打ち寄せられたゴミが溜まっていた。 見渡しても野鳥は一羽もいない。チュウシャクシギやダイシャクシギ、ソリハシシギ、ダイゼンなどが来ているはずだが・・・ムツ掛けなどの干潟漁の人も全く出ていなかった。野鳥観察の展望台へ移動して下の捨て石に機材は全部もっておりる。50~250mm望遠ズームを付けて、江湖に船を停めて手押し網漁をしている等勝丸を撮る。距離が遠いので少し霞んで見える。今度はPENTAX645Nに今度手に入れた200mm望遠レンズを付けて干潟を撮る。200mmでは手押し網の漁船は無理だ。 連れ合いは捨て石の間にhaえている海浜性の植物を撮っていた。16時過ぎまでいて戻ることにする。途中蓮田の横を通ったが、姿は見えなかったがバンの鳴き声が聞こえてきた。今年も繁殖したのだろうか。去年は営巣しているところやヒナを連れている親鳥を撮ったのだが・・・たしか巣は7か所あって卵が入っているのが6つあったと思う。ヒナは5羽しか見なかったから、卵は全部は孵らなかったのだろう。 29日は朝からどうやって大村の野岳湖のイヴェントへ行こうかと思い悩んでいた。前日武田先生に情報を伝えておいたのだが、反応が返ってこなかった。思い切って吉田さんに電話すると、午後なら空いているとの返事。これで大村の野岳湖へ行けるとほっとする。連れ合いも行くので軽トラックではダメだが、マツダの2トントラックがあるから大丈夫だ。連れ合いは朝から近所や庭先で摘んできた草花をお気に入りの器に差して写真を撮っていた。しばらくするとカボスい声で鳴く小さな野鳥が裏の柿の木に来ていると教えてくれたので、そーっと双眼鏡で覗いてみるとヒタキの仲間でコサメビタキのようだった。目が可愛い。ときどき舞い上がって小さな昆虫を捕らえてまた元の枝に戻っていた。夏鳥だから今から南へ渡る途中一休みしているのだ。 早めにサンドイッチと珈琲で済まし、準備して連絡が来るのを待つ。12時半ごろマツダの白いトラックが庭に入ってくる。カメラが入っているバッグなどを荷台に置いて助手席に二人乗り込む。ちょっと狭いが1時間余りの辛抱だ。途中郵便局でお金を下して444を走って平谷トンネルを潜り黒木渓谷を下る。坂口で右折して広域農道を走り、”シュシュを通り越してから大村湾カントリーへの道を登る。野岳湖のところで右に入り義太夫会館があるロサモタ広場へ。もうキャットナップのマスターの坂元さんや碗琴奏者の筒井孝司さん、会場の準備を手伝う松原の人たちや短歌を朗読する二人も見えていて準備をしているところだった。僕舘は開演まで1時間ほどあったから、菜花[クラフトビレッジの会場まで歩くことにする。連れ合いは野の花の撮影で遅れがち。会場には10店舗ほどのテントが並んでいて、顔なじみの人も何人かいた。欲しいものがいくつかあったが、結構な価格なので諦める。 時計を見ると開演時間の15時まで十数分しかない。慌てて義太夫会館へ向かう。駐車場の車から民俗楽器奏者の島川さんと色鉛筆画家の松島さんが下りてくるところだった。中に入るともう二十数名の人たちが入っていた。少し遅れての開演だったが、そのころは三十名以上入っていた。有田焼のお碗やどんぶり、鉢などをテーブルに二十数個並べて、それを細いバチで叩いて音階を出すわけだ。2オクターブ並べると幅4メートル前後になるから演奏は大変だ。曲によっては動きをすばやくしないと曲が間延びしてしまうのだ。オープニングははポピュラーな「お祖父さんの古時計」だった。お碗の音はそれほどヴォリュームがないが、ここのホールは天井が高くてドーム状になっているので、よく響いた。途中から笹井宏之(本名:筒井宏之)短歌を碗琴の演奏をバックに朗読した。後半は碗琴の演奏に民俗楽器演奏者の島川氏が、即興で合いの手を入れて盛り上がった。彼が得意とするモンゴルの歌唱法・ホーミイは、この会場の音響効果が素晴らしく、彼の声がドームに反響・共鳴して人体が楽器であることを証明してくれた。 諫早のFと彼女の友達も聴きに来ていた。帰りに坂元さんが原さんから預かってきていたMamiyaRB67proSDに90mmが付いているのと100~200mmズームを受け取る。結構重い。帰路小腹が空いたので”シュシュ”の近くの“マイセン”に寄る。連れ合いの友達が去年からこの店を引き継いで、蕎麦とカレーと珈琲を出している。この店の什器はすべてドイツのマイセンの製品を使ってある。もちろん蕎麦用のどんぶりなどは違うが・・・コーヒーカップとソーサー、ケーキ皿などは本物のマイセン製だ。棚に飾ってある皿は三十万円前後。陶器の人形は3百万円だとか。割ったら大事だ。マスター特製の天ぷら蕎麦を注文する。鹿島からも何人かときどき来てるれるとマスターが話してくれた。吉田さんも気に入ったようで奥さんと来たいと言っていた。マスターの父親は新聞記者だったからか、彼も写真には関心があったようでフィルムカメラをもっていた。戦後間もないころのキャノンとMAMIYA C33を店の棚に置いていた。C33,C330は僕も一時期使っていたことがあるので懐かしかった。 我が家の裏の田んぼの稲刈り ・・・ 台風17号が運んできたゴミ 干拓地の 稲刈り 鹿島川の江湖の中で手押し網漁をする等勝丸 ・・・ 干潟にレンズを向ける 春菜クラフトビレッジの会場 鹿島市飯田の"いいね工房" #
by kango416
| 2012-10-05 09:38
9月26日(水)27日(木)、火曜日にリハビリに行けなかったので、9時に着くように家を出た。今日は予約をしていなかったしばらく待つことに。十時半ごろ終わり親和銀行に振り込みに行き前の鹿島書房に寄って頼んでいた本をもらう。隣の”Le Pomme"のドアーが開いていたので、久しぶりに入る。11時だからまだ客は誰もいなかった。しばらくウエイトレスのKさんと世間話をする。彼女の父親はブリッジストーンで山岳部に所属していて大きなリュック(キスリング)を担いであちこちの山へ出かけていたらしい。我が家にもまだ大学時代に使っていたキスリングがあるはずだ。今度の引っ越しでも捨てずにもってきていると思う。アイゼンもピッケルもある。もう使うことはないだろうが思い出の品だから家の改装が終わったらどこかにインテリアとして置くつもりだ。
すこし”あんくるふじや”で買い物をしてから我が家へ戻る。途中でヒガンバナが綺麗だったので撮影。空には秋の雲が棚引いて綺麗だった。中川の堤防の脇の広い大豆畑では大型の薬剤散布機で害虫防除をしていた。今干拓地は稲刈りの真っ最中だが、田んぼの三分の一は減反対策で大豆をつくっている。さがびよりの刈り取りはほとんど済んで、10月5日ごろからはひのひかりの刈り取りがはじまるそうだ。今は刈り取ったあとの稲藁をトラクターの後ろに取り付けた大きな機械で集めて飼料にするようにしている。 家に戻って昼飯を食べてしばらくTVを観てくつろいで、今度はカメラをもって大工さんの仕事を撮影する。今日はリビングの旧い梁が低くて階段を付けると頭が当たるので、3尺切り落として大きな柱を立てて支えてその上には補強のための梁を嵌め込むための準備をしていた。一人でしているから大きな材木を扱うのが大変だ。実際に嵌めこむときにはもう一人呼ぶと言っていたが・・ PCに向かって写真の処理をしていたら、チャイムが鳴ったので出ると、干潟展望館の中村氏が娘を連れてミゼットで来ていた。「この前約束しとったけんが草刈りに来ました」と。早速名目が畑になっているところの伸びた草を刈ってもらうことにする。五歳の翠ちゃんは好奇心旺盛で活発だ。爺にまとわりつて質問攻め。天真爛漫で被写体にうってつけと思って激写する。ところがあとで彼女がどうしてもカメラで撮りたいと言うのでしぶしぶカメラをもたせると「何か書いてあるよ」と言う。よく見ると液晶画面に「メディアが入っていません」と出ていたのだ。今までほとんど画面を見ないで撮っていたので気付かなかったのだ。迂闊だった。慌ててPCのところへ行くとカードリーダーにメディアが嵌ったままに!!気を取り直して翠ちゃんにレンズを向けたが、彼女はのってこなくなった。そしてレンズを意識するようになって表情が面白くなくなった。大失敗だった!! そのあと台所や女房の居間にもやってきて質問攻めをしていたようだが、ぼくがしつこくレンズを向けたからか「爺ちゃんはおんなが好きなの?」と言ったそうだ。家内は面白がって笑っていが・・冷蔵庫にも興味を示したので開けると、目ざとくチーズを見つけ「チーズ大好き」と言ったらしい。 フルーツ入りのチーズをあげたら喜んでたべたそうだ。作業は1時間余りで終わった。お礼をどうしたものかと考えていたら、この前結婚式の写真を撮ったときのお礼にもらっていた酒(東一)が一本あったので、それをもたせることにした。彼はほとんど飲まないのだが、消防団に入っているから酒を下げていく機会はあるそうだ。 今日の新聞の一面の広告に芸術新潮の10月号発売の広告が載っていた。「ハッと感じたらグッと寄って、パチパチ捕れ1」大特集 篠山紀信 ”写真力”ってなんだ!?と気を引くようなキャッチコピーが・・・芸術新潮はずっと以前しばらく購読したことがあったが、なにしろ値段が高いので息切れして止めたことがあった。しかし、10月号は買わなければと思う。 27日は午前中はPCの前に座り、写真データの整理とブログを打ち込んで過ごす。カメラのキタムラに注文していた中古のレンズを一本荷物になるからと引き取らずにおていたのが気になり、電話して代引きで送ってもらえないかと相談した。すると社の方針としては現金を振り込んでから発送するシステムをとっているとの返事だった。振り込んですぐに電話をもらえば発送するとのこと。早速午後自転車で親和銀行まで行く。電車とバスを乗り継いで南バイパス店まで往復すると、運賃だけで1460円掛る。ほかに要件がなければわざわざ行くのは時間とお金の無駄だ。送料が500円、振り込み手数料が580円だったから今後はできるだけ代金は振り込むことにしよう。しばらくしたら発送したと電話があった。明日の午前中には届くだろう。 代金7800円と送料500円を振り込んでからすぐ近くの鹿島書房へ寄って、芸術新潮10月号が入っていないか尋ねると「明日あたり入るでしょう」と言ってすぐに「入ってますよ」と言ういつものところを見たがない。下の平積みのところに二冊重ねて置いてあった。表紙には山口百恵の「ビキニ姿の写真の下に篠山紀信の顔のアップが・・・かなりインパクトがある表紙だ。いつもの芸術新潮の表紙とは印象が違う。今東京オペラシティアートギャラリーで「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN]の開催を機に芸術新潮が特集を組んだのだ。知らなかったが、9月17日まで熊本市現代美術館で会っていたのだ。行けなくて残念だ。3m四方の高岡早紀のヌードもあったらしい。あと近いところでは来年の3月1日から広島市の奥田元宋・小由女美術館であるようだ。8x10で撮った写真もあるから実物を観てみたいが、広島は遠すぎる。どうして熊本であっているときに 気付かなかったのだろう。悔やまれてならない。 秋の雲・中川の堤防から北西の方向 大豆の害虫防除 草はらいをする中村さん ミゼットでやってきた中村親子 #
by kango416
| 2012-10-04 16:53
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