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佐賀へ”Silkdoro Tour”のライヴを聴きに・・・
 3月9日(金)、先日久しぶりにCINEMA THEQEに寄ったら、マスターがいてしばらく話を聞いた。毎月ジャズのグループを招いているようだった。ジャズのLPを拘りの装置で聴かせてもらう。SPはJBLのウーハ、ホーンなどを組み合わせた自作のダブルウーハーの大型だった。多分数百万円は掛っているだろう。もう一台のSPは、B&Wのハイエンドの800Dの旧型のようだ。中古で百万円台で手に入れたと。アンプやCDプレイアー、ターンテーブルなどは、一坪ほどのブースに十数台棚やテーブルに並べてあった。平均五十万円だとしても一千万円近くなる。カウンターの隅にジャズ喫茶・バーには珍しくフラメンコギターとダブラのデュオの”Silkdoro Tour"のチラシが置いてるのが目にとまった。チャージが2500円だったから聴きに来ようと思ったのだった。他のジャズのグループのチャージは3500円から4000円だった。

 二三日前に電話で申し込んで、今日の12時33分の電車で佐賀へ向かう。駅からバスに乗って、息子が見付けてくれた行方不明になっていたPanasonicL10と25mmレンズをもってカメラのキタムラへ行く。10か月引っ越し荷物の段ボールの中に入ったままになっていたためか、電池を入れ換えても作動しなかった。レンズの黴も酷いようなので、点検修理に出すことにする。今朝小城の武田先生から電話が入り、佐賀に用事があって出るから、李先生に連絡して夜どこかで一杯やろうとのことだった。カメラのキタムラを出たころまた電話があって李先生とどこで待ち合わせるか決めてあとで連絡すると。時間があったから途中でバスを降りてベースキャンプに寄る。それからまたバスで呉服元町まで行き、”佐賀オーディオ”を捜すことに。捜しながら路地を歩いていると、佐賀歴史民俗館旧古賀銀行の横に出た。尿意を催したので横のトイレに入り、本館に入るとそこはレストランだった。丁度佐賀は今雛祭りのイヴェントがあっていて、レトロな雰囲気のレストランでも雛祭り限定の”だご汁セット”があったので、それを注文する。一階のロビーでは、佐賀城下雛祭りのからくり人形展の会場になっていて、人形が数体展示してあり、一体は動いていた。だご汁には赤飯もついていたのでお腹はライブが終わるまでもちそうだ。

 この界隈は旧長崎街道に面していて豪商や資産家の屋敷がたくさんあったようだ。ここ柳町には佐賀最大の遊里があったらしいが、そういう佇まいの古い建物は見当たらなかった。古賀銀行を興した古賀家ではひな祭りのお茶会があっていたが、その前の”佐賀オーディオ”の前で奥さんが節麺を売っていたので2袋買う。ロンドであった“プチだおん”のライブを聴きにきたときに、百田さんと一緒にきたとkろだ。オーナーの草刈さんもいたので、中に入ってしばらくいい装置でジャズを聴きながら珈琲をご馳走になった。話しは年齢のことになり、彼も昭和一桁で一年先輩でしかも満州引き揚げだった。干潟の写真などを撮っていると話すと「仁川の干潟は広かったもんね・・・」と言うではないか。小学生のころちょくちょくインチョンに行っていたわけだ。実家はインチョンで大きく事業をしていたそうだが、次男である父親は北朝鮮との国境の丹東で商売をしていたのだそうだ。インチョンの実家には演歌の大御所・古賀政男も若いころ出入りしていたと。引き揚げて来て貧乏のどん底に落ち、旧制中学校へは行かせてもらえず、中学を出てしばらく就職したが、電気器具や機械が好きで電気店に入り浸りにしていたのだそうだ。すると店主がそんなに電気製品を扱うのが好きなら、独立したらと勧められ電器店を開き、徐々にオーディオ機器を扱うようになり、数十万円から百万円を超すスピーカーやアンプが次々に売れ、昭和時代まではいい思いをしたと。

 18時半になったので”佐賀オーディオ”をあとにして19時半から”Silkdoro Tour”のライブがある”SINEMA THEQUE”へ歩いて向かう。今夜一緒に飲もうと言っていた武田先生から佐賀へ向かっているが、李オンチョル先生と落ち合ってから場所を電話すると電話が入った。ライブが終わるのは22時過ぎだから、相当おくれて参加することになりそうだ。19時に会場へ入る。19時半開場だから誰もいなかったが、”Silkdoro Tour”の2人が食事をしているところだった。半ごろになると十人余り入ってきた。二三日前までは電話がなくてハラハラしていたが、フラメンコの指導者から数人で押し掛けると電話があったのでホッとしたと。それらしき女性が4~5人最前席に陣取り飲み物を注文していた。僕は写真を撮りたいからカウンターの最奥の席に座る。しばらくして隣の席に座った男性が、カメラを見て「いいカメラをお持ちですね」と話しかけてくる。堅い仕事の人のような印象を受けたので「県庁の方ですか?」と言って名刺を渡すと。名刺入れを出して自分の名刺を捜していたが、佐賀大学のマークが入った名刺が目に入った。佐賀大学の農学部の助教授のYさんだった。武田先生や李オンチョル先生を知ってるかと尋ねるとどちらもよく知っていると。ライブが終わってから2人が飲んでいるところに合流する予定だと話すと、一緒に参加したと言うではないか。

 ライブは20時きっかりに2人の登場で始まった。伊藤芳輝(フラメンコギター)・吉見征樹(タブラ)。タブラのリズムとフラメンコギターの迫力のある演奏にみんな圧倒されていた。彼らは二年前までは女性バイオリニストの三人で活動していたようだが、現在は2人でFMたちかわで~てるくんとおっちゃんの”シルク道路”(毎週土曜日21:39~22;00)でパーソナリティをつとめていて、今回のツアーはそのキャンペーンも兼ねているのだそうだ。曲が終わるたびにときには途中で「おーっれ」が、最前列のグループから掛っていた。いい感じの演奏だったので、CDを買おうと思ったが、ATMで金を降ろすのを忘れていて、CDを買うと今夜の飲み代が足りなくなりそうだった。明日午後受け取りに来るからと言ってマスターに建て替えて貰って、Y助教授とタクシーを拾っていつも彼らが飲みに行く焼き鳥屋”案山子”へ向かう。Y助教授も去年まで李先生と同じ公社に住んでいたのでここらたりの地理には詳しいのだ。タクシー代は彼が払った。もう先生たちはでき上がっていたが「何で中尾さんと一緒なんだ?」とみな訝っていた。Y助教授は植物学で期待されている人らしく、武田先生とブータン行きの話しで盛り上がる。韓国から招へい教員として来ている李オンチョル先生と同じく韓国から農業経済の研究生として来ている李クントクさんも一緒だった。

 すぐ近くの李オンチョル先生の宿舎に泊めてもらうことになり、歩いて帰る途中のバーにも寄る。武田先生はタクシーで小城の自宅まで戻った。とっくに零時は過ぎ時計は2時を回っていた。宿舎でもビールを飲みながらしばらく話をした。李先生とは2002年かの日韓共同干潟調査で一緒になって以来の付き合いでもう10年あまりになる。武田先生のもとで博士号をとってしばらく韓国に戻っていたが、また武田先生が退官したあと佐賀大学農学部地域資源学研究室の教員として採用されて今年で4年目になる。

旧佐賀銀行の内部

旧佐賀銀行


Silkdoro の二人


インドの打楽器・タブラの説明をする
吉見征樹さん


・・・


“FMたちかわ”とCDのPRをする
オッチャンこと吉見さん


・・・


演奏中の二人


盛り上がる会場
# by kango416 | 2012-03-30 14:07 | Trackback | Comments(2)
干潟に雪が積もっていた
2月20日(月)、大村にもう一泊して、午前中汚水処理場の排水口の近くに集まっているカモを撮影に行った。去年と比べてホシハジロの数が増えている。池田の堤にホシハジロがほとんど姿を見せなくなっていたが、ここに来ていたのだ。マガモは比較的に人に慣れているのか、石の上で休んでいてなかなか飛び立たない。しかし、他のカモたちは堤防から顔を出すとほとんどが飛び立って沖へ逃げて行く。オナガガモ、ヒドリガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、ハシビロガモがいた。ときどきイソシギやハクセキレイがやってくる。コサギとアオサギもいる。ヨシガモのオスは綺麗だ。ハシビロガモのオスも羽の色は派手だが、嘴が大きく体型がややアンバランスだ。野鳥観察会の際、T先生が「下水処理場の下の海岸にオオバンが50羽前後群れていましたよ」と言って写真を見せてくれた。20羽前後写っていたが、こんな大集団は見たことはないから、ひょっとしてと思って行ってのだが、影も形もなかった。海にオオバンがいたとは珍しい。

 その後バスターミナルへ行く途中、長崎のチョープロが経営しているキッチン用品の店”Kuriya”に寄る。ここには拘りのキッチン用品がたくさんあって目の毒だが、ときどき寄って手ごろな値段で気に入ったものがあれば買うことにしている。前回は玉杓子を、今回はオリーブの木でつくったへらを買った。柳宗理デザインのパンやStaubの琺瑯鉄鍋のなどが置いてあり目の保養にもなる。Staubは重いが焦げ付きにくいという。我が家にはLe Creuseのホーロー鍋が大小4個あるが、よく使う。しかし、一番大きい22センチの鍋は、焦げ付かせたり空焚きを何回かして、琺瑯にひびが入り少しばかり剥げ落ちた。Staubにしておくべきだった。松原の田中鎌工業の松原包丁も置いてあった。

 午後は池田の堤を覗いてからキャットナップに行くつもりだったが、生憎日曜日は12時4分発の坂口行きのバスがないのだ。仕方がないから“いち”に寄ってラーメンを食べ、12時45分のJRで諫早へ出て13時16分の普通電車で多良へ。データーのバックアップをしてもらってDVDにもデーターを移してから、夕方の電車で我が家へ。

 ときどき雪がちらついていたが、20日の朝7時過ぎに起きて外を見ると、もう陽は昇っていたが雲があって隠れていた。朝飯を食べて片付けものをしてから、9時ごろカメラを3台(E-3に18~180mm、E-5に70~200mm+1.4っテレコン、ペンタックス645Nに45~85mmズーム)とスコープと三脚を自転車の荷台に積んで出掛けた。昨夜も可なり降ったと見えて、干拓地には雪が残っていた。堤防へ上がったところにある竜神の祠のところで干潟を覗くと、もう少し潮が引きかけていて潟が現れていた。途中の観察所のところで下の捨て石を覗くと、ダイゼン、ハマシギ、シロチドリ?の群れが、潮が引くのを待って羽を休めているではないか。100羽はいただろう。

 今まで見たところでは干潟には雪は残っていないようだったが、新篭の展望所に上がってみると、なんとまだ雪が解けない状態で捨て石の先に残っているではないか。慌てて645N、E-3とE-5にそれぞれズームレンズを付けて下へ降りる。すぐ近く今で凍った石の表面に用心しながら場所を変えながら激写する。ときどき陽が差して来て凍った干潟が光る。ツクシガモ、オナガガモ、マガモなどは渚線のところに広がっていて、撮影するには遠すぎる。

 11時ごろ一旦家に戻って昼飯を掻き込み、今度はMamiya RB67SDproに75mmを付けて戻ったが、陽が照っていて1時間ほどで干潟に残っていた雪はほとんど消えていた。残念!!仕方がないから少し移動して新篭の荷揚げ場を覗くと、漁船が1隻桟橋に接岸していた。常広のIさんの東栄丸だった。燃料を入れに来たのだそうだ。今朝海苔を摘みに行ってきたがとても冷たかったと悴んだ手を擦っていた。またプランクトンが異常発生して海苔は色落ちをはじめ、これからいつまで摘めるか心配だと。気温が上がると海苔が腐るそうだ。「折角夫婦でおらすけんが、並んで写真に写らんですか」と言うと、ご主人が「こぎゃん面らじゃ・・・ちゃかつかあー」と返ってきた。奥さんも「よかです・・・」と。

 天気もよくなってきたから、そのまま浜川河口のクロツラヘラサギと浜干拓地先の干潟を撮りに行くことにする。電池は予備を載せてきたら帰りも大丈夫だろう。鹿島川の太鼓橋を渡り干拓地を抜けて養鶏場の脇を通って踏切を横切り藤津碍子のところから左折する、石木津川の橋を渡りINAXの敷地の先から左折して、祐徳薬品の横を通って浜干拓地へ。そして線路の脇の農道を浜の南船津の集落の方へ向かう。浜大橋を目指しているのだが、そこへ入る道が判らない。ハウスで作業をしている人に尋ねてお寺の脇を抜ける道から大橋へ続く道に出た。大橋を渡ってクロツラヘラサギの塒を見に行ったら、潮が引いた潟に餌を求めて飛びったったのか1羽もいなかった。双眼鏡で河口部の干潟を捜したが見当たらなかった。

 今度は冬の干潟を撮影するために浜干拓の堤防の先端にある荷揚げ場へ向かう。途中の昔の船溜まりにはもう係留してある漁船の数は少ない。船の発着に便利な堤防の外の荷揚げ場に船を繋ぐようになってきているのだ。自転車を広いコンクリートの桟橋に停めて冬の干潟を撮影していたら、軽トラックが近付いてきて停まった。「なんばしよっとですか。潟にゃ何もおらんでしょうもん」と声を掛けてきたのは、ムツ掛けの第一人者の原田さんだった。彼は諫早にムツ掛けに来ていた頃からの知り合いだ。江湖をハンギィーに乗って渡るところを見たことがあったが、調子がいいときは数時間で千匹前後のムツゴロウを掛けていた。もう一人白石町の有明に干潟漁のベテランの井崎さんがいるが、彼は去年の春、ムツ掛け中に脳梗塞で倒れたので現在ムツ掛けでは原田さんの右に出る人物はいないだろう。「去年からウナギ掴みば中島先輩について行って習いおると。面白かよ。ムツ掛けと違うて道楽じゃけん」と言う。中島さんは二回ほど話を聴きに行き、撮影を申し込んだことがあるが、まだ実現していない。今度暖かくなったら、師匠と弟子を一緒に撮影できるかもしれない。





雪が残っている干潟に降りたアオサギ

オナガガモ♂


マガモ♂


オナガガモ


ヒドリガモ


ヨシガモ


東栄丸のIさん夫妻


船着き場へ向かう東栄丸


生きもの姿がない冬の干潟


冬の浜干拓地先の干潟
# by kango416 | 2012-03-19 13:04 | Trackback | Comments(0)
鹿島海岸で野鳥観察会
2月18日(土)、鹿島駅前でピックアップしてもらってもよかったのだが、天気が気になって昨日の午後大村まで出て来て、夕食は義兄宅でご馳走になった。今朝は8時半過ぎに起きて昨日買っていた稲荷寿司などで朝食を済まし、準備をして担当者が迎えに来るのを待つ。今日は担当のKさんが足に怪我をして参加できなくなったので、代わりの男性のKさんが迎えに来てくれた。天気が心配だったが今のところ雪は降っていない。しかし、多良山系の方は雲が掛っていてよく見えない。444号線の平谷トンネルが交通規制になっていなければいいがと思いながらコミセンへ。大村と鹿島の警察署に問い合わせたところ、今のところ規制はしていないとのことだったが、途中で引き返さなければならなくなったら時間のロスが大きいので、諫早回りで行くことにして8時過ぎに出発。小長井に入るころから雪が降り出し、佐賀県に入るともう銀世界だった。鹿島市に入ると干拓地も真っ白に雪が積もっていたが、ときどき薄日が差していたので、予定通り半時間遅れて鹿島海岸へ。

 揚水ポンプ場のところで降りて干潟を覗くと、捨て石には雪が積もり干潟にもところどころに薄っすらと積っていた。到着が半時間ほど遅れたので、可なり潮が引いていてカモの群れは江湖沿いにいて距離が離れていた。マガモがほとんどで、オナガガモとコガモもいた。手前の干潟にはハマシギが十数羽、小走りに移動しながら餌を捜していた。あとはアオサギが数羽とユリカモメとズグロカモメがちらほら。今度は新篭海岸の野鳥観察公園へ移動する。日差しはあったが風は冷たかった。スコープを三台据えて遥か沖に群れているカモを観察する。ツクシガモも数十羽はいたが、距離が離れていて陽炎が立ち、像が揺らいではっきりとは見えない。クロツラヘラサギは発見できなかった。ハマシギはいくつかの群れに分かれて干潟で餌を捜していた。ダイゼンも数羽は観察できた。ユリカモメとズグロカモメは数百羽はいたが、まだ頭部が黒くなってないので、識別が難しい。

 今度は浜の漁港の近くにあるクロツラヘラサギのネグラへ向かう。JRのガードをマイクロバスは潜れないから、七浦の方へ迂回して漁協の脇へ出てクロツラヘラサギの塒がみとせるところへバスを乗り入れた。葦の脇に風を避けて11羽が羽を休めていた。その中の1羽の脚にはグリーンの脚輪が付けれれているのが見えた。韓国のインチョンで付けられたのだそうだ。クロツラヘラサギは、世界で2千羽前後しかいない絶滅危惧種で、韓国と北朝鮮の境界付近の島や非武装地帯で繁殖しているが、06年の春WWFの渤海湾沿岸の調査に同行したとき、大連市と丹東市の境界辺りの離島のそのまた離れ小島の断崖で営巣しているのを撮影したことがある。20つがいほどはいたと記憶している。

 そのあと例年は行かない浜干拓の外に突き出ている漁船の荷揚げ場に乗り入れて、しばらく沖の干潟にいる鳥たちを観察。遥か彼方の澪の脇の干潟で餌を捜しているクロツラヘラサギを発見して、かわるがわるスコープを覗く。冬の干潟は生きものが顔を出していないので、のっぺりとして美しい。日が差してくると干潟の表面は冬でも係争が繁殖して、黄褐色を呈してくる。浜の海岸をあとにして最後の観察地七浦の干潟公園へ向かう。先ず干潟展望館に上がりミニ水族館や展示してある写真などを見てもらう。そのあと堤防へ上がり沖の干潟をスコープで覗いたが、潮が遥か沖まで引いていて、鳥の姿はほとんど捜すことはできなかった。しかし、大型のサギ・アオサギはどこの干潟を訪ねても必ずいるようだ。道の駅鹿島の”せんじゃ市”で買い物をする人もいるのでしばらく自由時間をとる。僕は以前からの知り合いの岡本さん(ムツ掛け名人に認定されている)やグリーンツーリズムを推進している竹本さんなどに会って情報交換をする。一昨年写真展をしたときお世話になった展望館にいたMさんは最近結婚したらしい。

 最後の講座のあとで数年前から昼食を一緒にすることになっていて、今回は鹿島の街中のレストラン・Le Pommに寄った。前もって予約を入れていたので13名分の席は確保してあった。オーナー夫妻は知人なので便宜をはかってくれたのだ。メニューは前もってもらって参加者の希望をとるつもりだったが、手間が掛るので人数も13名に減ったから、魚をつかったランチに統一して“スズキの包焼き”にしてもらったのだった。マスターは大学卒業してすぐにハウステンボスのホテルヨーロッパで十数年修行してきたシェフだから、なかなかの味だ。ランチは全て1050円だ。ディナーは予約制で3千円以上のようだ。

 蹴りは444号線が通れるか鹿島署に問い合わせたら、午後から規制を解除したとの返事。お陰で30分早く大村に着くことができた。店を出るとき気が変わってまた大村へ行くことにしたので、スコープと三脚は預けることにする。コミセンに到着してから、謝金の受け取り印を忘れて来ていたので、連れ合いが勤めている店の近くまで送ってもらって、印鑑を借りてきて捺印する。鹿島に引越したから来年度は講師を引き受けるのを躊躇していたのだが、謝金に交通費の分を上乗せするから引き受けて欲しいと言われるので、後継者が見つかるまでつとめることにした。キャットナップにも寄れるし、薬を貰っている医院にも行くチャンスが増えるし、キャットナップに集まる大村の知人たちにも会うチャンスがあり悪くはないか。


北鹿島の干拓地


新籠海岸のユリカモメとズグロカモメ


冬の干潟・浜干拓地先

浜川河口部の荷揚げ場で・・・


たまたま上空に飛来したミサゴ


浜川河口部の船着き場も脇の葦原にいた
クロツラヘラサギの群れアオサギも数羽


"La Pomme"で出されたスズキの包み焼のランチ
# by kango416 | 2012-03-16 18:11 | Trackback | Comments(0)
息子東京へ
 2月13日(月)、天気はパッとしない。朝6時ごろ目が覚めてトイレに行ったが、まだ息子は起きていてカメラをあつかっていたようだ。シャッターを切る音がしていた。ハッセルブラッドのシャッター音は大きい。8時前に基礎工事をする左官さんたちが来るので、お湯を沸かして電気ポットに入れて軒下のテーブルに出す。10時の“いけどき”の準備をしてから出掛けることにする。息子は昨夜遅く23時過ぎの電車で博多のライブ(薬院のKai)から戻ってきたが、そのまま起きていて500CMのボディとゾナー259mmを分解して調整をしていたのだ。子どものころはは大伯父のところや祖母のところによく行っていたが、珍しいものがあると触りたがるので、壊し屋として警戒されていたようだ。大伯父は写真とオーディオ、釣りが趣味で、暗室と作業小屋をもっていた。小屋では餌木を削ったりアンプを組み立てたり、ときにはカメラを改造したりしていた。学校から帰ってくるとほとんどそこに入り浸りだったらしい。大伯父はアンプが完成すると音質のチェックをするのだが、息子に音質の感想を聞いてから部品を選んでいたようで、その頃からクラシックを聴かされていたわけだ。

 40数年前、医者の大伯父は60歳で隠居して、子どもがいなかったので連れ合いの兄貴を養子にして医院を継がせ、趣味三昧の生活をはじめたのだが、その頃物置にしていた3坪ほどの小屋を壊して、その跡に作業小屋を建てたのだった。そこには古い医学書や医学雑誌のほかにSPレコードのアルバムがたくさん入っていたそうだ。息子はときどきいたずらが過ぎたりしてそこに閉じ込められていたので、そのSPレコードに目を付けていて、小学校に上がったころ、大伯父にそのレコードが欲しいと言ったが断られたそうだ。ところが小屋を解体するときにガラクタや雑誌と一緒にそのSPレコードのアルバムも古物商に頼んで処分したのだった。最後のトラックが裏庭の小屋のところに停まって荷物を積みこんでいるところをたまたま連れ合いが見て、トラックの荷台に載っているレコードのアルバムを発見して、業者に頼んでアルバムの一部(段ボール2箱分)を下ろしてもらったという出来事があったのだった。たしか息子は小学校の1年生だったと思うが、全部欲しかったのにと悔しがっていたのを思い出す。ベートーベン、モーツァルト、ブラームス、ストラヴィンスキーなどのアルバムは今でも大事にしているようだ。 

 大伯父は早くから電動工具などさまざまな道具を揃えていたので、見よう見真似で扱い方を覚えたのだろう。手先が器用というわけではないが、大抵の家電の修理はできるようだ。カメラの修理もその延長線上にあるのだろう。

 街へ出て鹿島書房に寄って文芸春秋(芥川賞受賞作が載っている)とBe-Palを買って、隣のLa Pommeに寄る。18日の鹿島海岸での野鳥観察会のあとの昼食会の参加者の数とメニューの確認をする。天気予報が週末は雪なると報じていたからか、参加者が2人減り10人になった。メニューは魚をつかったランチに決める。ここのシェフはオーケストラのクラリネット奏者で、毎週月曜日は佐世保まで練習に通っていて、ここでも年に数回はミニコンサートを開いている。息子たちにもスケジュールが合えば来て欲しいと。佐賀と鹿島と諫早か大村の3カ所くらいでスケジュールが組めるといいのだが・・・・我が家のリフォームが終わるのが6月の予定なので、その後であれば宿泊もできるし・・・・

 夢木香の松井君から電話が入り、建築雑誌に載せる写真の修正をして欲しいと。夕方家迎えに行くとのこと。データをもってモモタフォートまで走らなければならないが、そのお前に小屋に入っている洋服ダンスや和ダンス、本棚などをリフォームと関係がない場所に移す作業が残っている。急いで戻って昼飯を掻き込んでから、息子と二人で別の部屋へ運ぶ。大きくて重いものもあり手古摺る。14j時過ぎの電車に乗らないと福岡空港発のフライトに間に合わないのだが、特急ならば17時過ぎので間に合うからと言ってギリギリまで手伝ってくれた。お陰で大きなものと重いものは全部移動させることができた。
# by kango416 | 2012-03-01 15:39 | Trackback | Comments(0)
"プチだおん”のライブを聴きに行く
2月11日(土)、息子が所属しているバンド・“プチだおん”が、10日から12日まで九州に来ることになり、息子は9日の最終のフライトで福岡へ来て、11時過ぎに我が家へ着く。朝方までジャンク品として格安で手に入れたハッセルブラッド500CMのボディとディスタゴン60mmを分解して、なにやらやっていた。正午ごろ起きて14時過ぎの電車で博多へ。その晩は博多で泊まって今朝10時過ぎに戻ってきたが、すぐにカメラの修理に取り掛かる。多良の百田さんも車で佐賀のロンドであるライブを聴きに行くので、我々親子三人は一緒に乗せてもらうことにして、16時ごろ迎えに来てくれた。佐賀神社の近くのロンドには17時前に着き打ち合わせには間に合った。我々三人は近くの“庄屋”に寄って腹ごしらえをする。そのあと車を駐車場に入れて、呉服町の”佐賀オーディオ”を覗くことにする。歴史があるオーディオショップのようだが、最近はバイクも扱っているそうで、店の中にはイタリーのDUCATIが2台鎮座していた。真っ赤な方は80万円で、シルバーのは350万だとか。JBLのステッカーが張ってあった。店のオーナーのバイクだそうだ。

 広いフウロアーには所狭しとスピーカーやプレイヤー、手づくりのアンプなどが置いてあった。百田さんは以前何回か訪ねたことがあるらしく、オーナーとアンプやスピーカーなどオーディオ装置のことで話をしていた。手づくりでプリアンプをつくって販売していて、何と60万円。市販の200万円のアンプと同じ程度の音が出ると自慢していた。プレーヤーも往年の名機・DUAL/THORENS/YAMAHAが置いてあり、ジャズのボーカルとクラシックのパイプオルガンの曲を、それぞれのプレーやで聴かせてくれた。スピーカーはもちろんJBL.6時半を回ったので、佐賀オーディオを辞して歩いてロンドへ。もうカウンターの席は埋まっていたので、一番前のテーブル席で聴くことにする。メンバーの3人はカウンターの隅っこで打ち合わせ中だった。開演時間が迫ると満席状態に。30名は入っていただろう。ドリンク券でハイボールとカシスづリンクを注文。

 7時を少し過ぎたところでオーナーの池田さんが挨拶してから、3人が登場。代表の多田葉子さんが挨拶し「訳の分からない演奏を聴きにきていただきありがとうございます」と。演奏が始まり息子はトロンボーンを、多田さんはアルトサックス、関島さんはチューバを。PAなしだが、楽器が楽器だから音の迫力はすごい。最前列に座っているから当然だが・・・・前後2回のステージに分けられていて、最後はアンコールも。今回の九州ツアーは、最近出したCD”オドラデクのルンバ”のキャンペーンを兼ねていて、カウンターでCDが数点販売されていた。オドラデクのルンバの他に梅津さんが主宰する“コマッチャクレズマー”、息子が参加している“NEWDAY”、関島さんが出した”映画音楽集”など。連れ合いがCDを購入するつもりで2枚分支払おうとすると、多田さんが「勘二さんにはいつもお世話になってますから、代金は要りません。差し上げます。」と言ったそうだ。

 打ち上げに百田さんも付き合ってくれたので残ることに。マスター手づくりのハムやママさん手作りの筑前煮、蒟蒻の刺身などなどご馳走が出た。カクテル・ワイン・ビールなどを飲みながら話が盛り上がる。長崎日大高校を出た佐賀出身のイラストレーターのOクンと福岡でイヴェントの企画などをしている女性も参加していた。Oクンはトイレの入り口でぱったり会ったとき「勘二さんのお父上ですか。どうしたらあんな人に育つのですか」と話しかけられて仰天する。また、多田さんの祖母は、佐賀鍋島藩の最後の藩主直虎の長女・好子さんだそうで、祖父が東京に出て鍋島家のお抱え運転手をしていたとき、恋愛関係になり駆け落ち同然で和倉温泉の実家に戻るところを、途中で引き離されたのだそうだ。ところがその後許されて晴れて結婚ができたというエピソードがあったと話してくれた。ちなみに多田さんの実家は、能登半島の七尾湾に面した和倉温泉の老舗旅館・多田屋だったのだ。日韓共同干潟調査で韓国の干潟調査に一緒に行った貝の研究者の山下博由氏(シンガーソングライターでもある)とも知り合いだと。そういえば彼はアルコールが入ると韓国でもギターを弾いって歌っていた。

 帰り際に関島さんと多田さんに佐賀の銘酒を渡したのだが、関島さんは彼が手がけた映画音楽のCDを渡してくれた。以前島原市の有明町であった“栗コーダーカルテッド”のコンサートの際にも1枚いただいたことがあったのを思い出す。あまり遅くなると百田さんに迷惑を掛けるので、10時過ぎに打ち上げの席を辞して息子も一緒に戻ることにする。正月の多良岳登山、今回の佐賀でのライブと、百田さんには大変お世話になった。百田さんは大のオーディオマニアなので、音には一家言をもっているのだが「管楽器だけであんな音が出せるのですね。よかったですよ」と褒めてくれた。


 今朝は8時過ぎに起きて朝食を済ますと、干潟に鳥を観に行くことにしたが、なかなか息子は戻ってこない。基礎工事に左官の諸上さんが来たので、“いけどき”のためのお茶の準備をする。ようやく息子は11時ごろ福岡のホテルから戻ってきて、またカメラとレンズの調整を始めた。僕は自転車にカメラと望遠ズームを積んで、連れ合いは三脚を付けたスコープを肩に担いで新籠と三部の境界の堤防を目指す。今朝は天気が良くて少し暖かい。北村さんの蓮田の脇に軽トラックが停めてあり、水圧でレンコンを掘っているらしく、ときどき水しぶきが上がっている。龍神さんの祠のところから干潟を覗くが、潮が満ちていてカモは少し沖合に浮かんでいた。

 ハンターを3人乗せた漁船が、沖の澪筋を行き来しながらカモめがけて発砲していた。弾が当たって落ちたのをタモで掬い上げていた。手前の堤防側は保護区だから入ってきてはいけないのだが、カモの群れがいるのでときどき入ってくる。しかし、僕らが双眼鏡で見ているからか、諦めて沖へ向かう。新籠の展望所のところにスコープを立てて干潟の鳥たちを観察する。もう少し潮が引きかけていたが、ツクシガモが干潟と水面の境界の辺りに横一列になって朝をとっていた。連れ合いが数えたら350羽を超えていて、はるか彼方の干潟にもいくつかの群れがいたから、400羽はいただろう。ツクシガモは保護鳥だから、ハンターが乗った船が近づくとはらはらする。連れ合いは気になるのかいつまでも沖を頑強で眺めていた。

 我が家に引き返すとき蓮田の方を見ると、奥さんと孫の美咲ちゃんが自転車でやってくるのが見える。下へ降りて蓮田の脇へ自転車を乗り入れて、作業と美咲ちゃんが軽トラックの荷台で練習帳を開いて書き込んでいるところを撮影。小学校の1年生だそうだ。規格外れのレンコンを数本いただく。今度お礼に写真をプリントして差し上げることにしよう。

バスクラリネットを演奏する多田葉子

ロンドのカウンター

3人が参加するバンドのCD 

手前はチューバの関島岳郎 

打ち上げで出たマスター手作りのハム

堤防で沖のカモを観る・・・

ズグロカモメとユリカモメ


ツクシガモとオナガガモの群れ

Kさんの孫の美咲ちゃん
 

# by kango416 | 2012-02-27 11:36 | Trackback | Comments(0)


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