9月17日(月)、今日は敬老の日だ。台風16号が九州に接近していなかったら、北鹿島体育館で敬老の日の行事が予定されていたのだが、一昨日区長さんが中止の連絡に見えた。昨日の夕方から風と雨がひどくなるという予報だったが、それほどひどくはなかった。風速30メートルになれば葦葺きの母屋の屋根が心配だったが、夜中も戸がガタガタ鳴るほどには吹かなかった。夜中にも何回かTVをつけて台風情報を見たが、有難いことに長崎の西側の海上を北上していたのでいくらか安心したのだった。あとで大村の義兄から電話があったが、大村は結構吹いたそうだ。鹿島は多良山系が風を遮ってくれたのか、刈り取り前の稲もほとんど倒れていなかった。
9時過ぎに雨が小ぶりになったので、自転車で堤防まで海の様子を見に行った。ちょうど満潮の時刻でやや潮が高く桟橋のたもとの駐車場まで潮が上がってきていた。いつも行く龍神の祠のところに行き堤防にあがって沖を見ると、白波が立っていたがそれほど波は高くなかった。ただ葦の茎や葉がたくさん流れ着いていた。海苔養殖を控えた時期だからその除去に手がかかるだろう。先月ようやく北部九州水害の漂着物を片づけたばかりなのに・・・ 半時間ほど堤防を回って我が家へ戻ってくると、連れ合いが「見周りに行くと言ったから、家の周りだと思っていたらそんな服装で堤防まで行くなんて!」とブツブツ言う。確かに雨具の上着は来ていたが、下は半ズボンのままだったから、転倒したら膝を怪我していただろう。大工さんからは今日は雨が降るようだから休むと電話があったが、午後は晴れ間も見えるようになってきた。干潟漁に出る人はいないだろうし、我が家にいて写真のプリントをして、ブログをアップすることにした。 昨日の夕方班の当番の人が、敬老の日の記念品をもってきてくれた。敬老会があっていたら、弁当と飲み物が会場で配られるのだが、中止になったのでそれに見合う品物(まるぼうろとおこし)が届けられた。早速お茶を入れて二人で食べることにした。おこしも軟らかくて食べやすかった。 キャットナップの坂元さんから今朝電話があった。この前渡しておいたFUKUOKA STYLE Vol.16と略歴などと坂元さんがもっていた写真集「有明海の漁」を”風の旅人”(12月に復刊予定)の編集長に送ったのが先方に届いて、お礼と写真集に対する感想を書いたメールが送られてきたから、転送するという内容だった。地方で地道に撮り続けている人がいることは心強い。写真集も素晴らしい。石牟礼道子氏の巻頭言には感動したなどとあった。しかし、復刊第一号と2号あたりまではもう準備ができているので、今後の編集の参考にさせてほしいと。採用されるかどうかは分からないが、編集者の目に僕の仕事の一部が触れただけでも有難いと思う。坂元さんの心遣いにはこころから感謝したい。 武田先生からは北帰行(山形の実家へ戻る)へ出発した9日夕方から、毎日旅の様子をCメールや電話での報告が続いている。名古屋から仙台までのフェリーは15000トンの船で揺れもほとんどなく快適で、夜にはバンド演奏もあって楽しかったと。料金はなんと6300円。北海道の苫小牧までは9500円だそうだ。時間がたっぷりある者は飛行機や新幹線を使うのはばかばかしいと。山形は快晴で暑いそうだ。今日は茨木の知人のところに寄って旧交を温めて、明日は東京の姉のところへ行くとあった。とにかく先生の旅の仕方はユニークだ。去年の夏のモンゴル行きも、フェリーでチンタオに渡り、あとは列車を乗り継いだそうだ。韓国へは何回か一緒に旅したが、ほとんどフェリーだった。 南東の風で吹き寄せられたゴミ(葦の茎や葉など) 塩田川河口の船着き場 敬老会の記念品 #
by kango416
| 2012-09-20 21:35
9月15日(土) 超大型台風16号が沖縄・奄美に迫っているが、九州北西部に接近するのは明日夜から明後日の朝になりそうだから、今日は夕方まで天気は保ちそうだ。先週か先々週の新聞でみたイヴェント・九州大学USI”サイエンス カフェ”が、午後佐賀市のある場所であることを知り、覗いてみたいと思って、連れ合いも一緒に出かけることにした。11時1分の電車に乗り佐賀駅で降りてまっすぐに観光案内所へ向かう。昨夜新聞を2週間分あまりひっくり返してその記事を捜したのだが見つからなかったから、会場が分からないのだ。PCで検索してもらったが、市や県が関係しているイヴェントでないと引っかからないとのこと。諦めるしかない。
九州大学USIの“サイエンス カフェ”には以前07年と09年に参加したことがあり、500円の参加費でトークを聴いてそのあと軽食が出ていた。07年には僕の写真展「有明海の漁とくらし」をUSIサテライトで開いてもらい有明海シンポジュームもあった。09年9月にはクジラ巡回展「くじらとぼくら」が開かれて、その関連で沖縄の天然モズク料理が出た。担当者のSさんはホエールウォッチングでよく沖縄の慶良間諸島に行っていて、知り合った漁師で民宿の経営者の協力があったようだ。今回の佐賀での”サイエンス カフェ”のテーマは韓国の食だったので興味を覚えたのだった。 12時55分の佐賀大学経由東与賀雪に乗り込み、佐賀大学裏で下りてカメラのキタムラ南バイパス店へ向かう。いつもなら5~6分で着くところを杖をついて休み休み歩くので、三倍掛ってしまった。早速届いていると連絡があったPentax K5用のバッテリーグリップ D-BG4を受け取る。それからMamiya RB67用のC180mmとC140mmマクロレンズの中古の価格と在庫を調べてもらう。どちらも在庫があったが、1万円を切るC180mmを注文。これから中判・大判カメラで干潟を撮ろうと考えているので、RB67用のレンズを揃えようと格安のものを捜しているところである。新品の平常価格が十数万円する中古レンズが、一万円前後で手に入るのである。今更フィルムでと思わないでもないが、フィルムの面積が広いから情報量が多く、ディジタルに変換してもディジタルカメラで撮ったのとは一味違うこともあるのだ。PENTAX645Dであればいいだろうが・・・ カメラのキタムラでタクシーを呼んでもらい、佐賀神社前の民芸品店「旬」へ。ここは今年の二月息子たちがジャズバー”LOND”に来たとき、連れ合いも一緒に聴きに行ったのだが、そのときその店のウインドウに展示してあったお雛さまが目にとまり、電話で値段を聞いたきことがあった。値段は目の玉が飛び出すほどだったのだが、気になっていたらしく、北鹿島へ引っ越してきた日の翌日(7月25日)にわざわざ訪ねたのだった。その時は舟木さんの弟子がつくったグラスや張り子のイヌなどを買ったが、今度もガラスの小さな容器(半額のコーナー)や布きんや箸、拘りの食品などを買った。唐津焼の陶板(中里某氏の作品)が欲しかったが、今回はパスすることにする。 腹が減ってきたから玉屋の近くの”椀椀”のエスニックカレーを食べたくなって、店の前でタクシーを拾ってもらう。ところが店の前に着くとドアーが閉まっているではないか。やむを得ず前回寄った”そば勢”に寄って具だくさんかけ蕎麦を食べて、だし巻き卵を買う。この前は8月26日のフォルクローレのライブを聴きにきたときで、あなご天そばとえび天そばを食べた。この店には焼き物がいろいろ飾ってあったが、ほとんどお客さんがもってきたものだと。使ってある食器は全部有田の大日窯のものだった。蕎麦汁がとろーっとしていて美味しかった。 この前は駅まではバスを使ったが、今度はタクシーを拾った。時間があったので積文堂に寄って”ちるちんびと9月号”、”サライ”、”佐賀県の歴史散歩”を購入、17時25分発の長崎行きの電車乗る。鹿島駅に降りてからあんくるふじやに寄って台風が通り過ぎるまでの二日分の食料を買い込む。雨がぽつぽつ降り出したので、僕だけ自転車で我が家へ急ぐ。家に着く前有明干拓の方にモクモクと黒煙が上がっているのが見えてきた。荷物を家の中に入れてすぐに双眼鏡とカメラをもって堤防へ自転車を走らせる。堤防へ上って双眼鏡で覗くと煙の勢いはなくなっていたが、消火活動のためかサーチライトが当てられていた。あの辺りには民家はなかったと思うが・・・連れ合いは我が家か近所の家が燃えているのはないかと思って急いできたと言う。 民芸雑貨「旬」の店内 ・・・・ ・・・ 玉屋横の”そば勢”で注文した具だくさんかけ蕎麦 ”そば勢”で買っただし巻き卵と”あんくるふじや”で半額で買ったノルウエー産サバを酒の肴に 今手元にあるマミヤRB67proSD標準セットとワイド系交換レンズ(75mm・65mm・50mm) #
by kango416
| 2012-09-17 18:14
9月13日(木)今朝はあ晴れていて東の空にうっすらとたなびいている雲が茜色に染まっていた。間もなく日の出だ。その上には細い三日月が青黒い空に浮かんでいた。もう潮が起きていて、明日あたりから大潮になるのだ。手押し網や横町網「、こうもり網などの船が出るだろう。
今日は先ず佐賀のカメラのキタムラ南バイパス点に行き、Pentax K5に付ける18^135mmの中古を発注。今度移住してきた三部の獅子舞いの練習を動画で撮るなければならないので、ズームレンズとモータードライヴ用の電池ボックスを買うことにした。Olympus E5/E3はもっぱらスチル用にすることにした。三部集落が今年は注連縄立ての当番で、獅子舞いを奉納しなければならないのだ。今生産組合長宅の庭で夜八時から練習をしているそうだ。北鹿島地区には7集落があるから、当番は7年ごとに回ってくる。そのため所作をきちんと動画で撮っておかないと、7年後の練習のとき困るわけだ。7年前にもヴィデオテープで撮ってあるが、DVDに移さなければ見ることができないのだ。祭りは19日から21日までだが、注連縄立ては16日だから、獅子舞いは6日間で北鹿島全域の各家を回らなければならないのだそうだ。一日100軒から200軒になるから、相当ハードだ。我が家は家を改築しているので、本格敵に待ってもらはなければならない。もちろんご祝儀もはずまなければならない。 佐賀での用事を済ますためにいつもはバスを利用するのだが、今回は往路はバスを利用し、後は杖を突いて歩くので、普段は5分でいけるところが10分から15分かかりバスに間に合わなかったりしたので、タクシーを二回使った。バスなら280円のところを合わせて1450円掛かった。12時24分の肥前山口行きの風雨電車に乗らないと大村に15時前には着かないから、少し焦った。肥前山口で佐世保行きに乗り換え、廃棄で長崎行きに乗り換え大村湾を眺めながら大村へ。14時55分に大村駅に到着、足を引きずりながら駅前の底流所へ急ぐ。なんとか15時過ぎの竹松アパート前行きのバスに間に合った。キャットナップに近い池田一丁目北で降りたのだが、キャットナップの坂元さんに渡す書類とFUKUOKA STYLE Vol.16「有明海大全」などを入れた手提げケースを座席に置き忘れたことに気づく。慌ててキャットナップで兼営バス営業所の電話番号を調べてもらって電話をする。運転士に電話をしてもらい、戻ってくるバスを停留所で待って受け取ることができた。本来ならば営業所まで受け取りに行かなければならないところを便宜を図ってくれたのだ。おかげですぐに坂本さんに渡すことができた。休刊していたある写真誌(坂本さんが購読していた)が、今年の12月に再発行するという情報を得て、僕が長年撮り溜めてきた有明海の写真を売り込んでくれる話が持ち上がり、写真集「有明海の漁」やFUKUOKA STYLE VOL.16「有明海大全」、僕の略歴、写真展の趣意書などを送ることになったのだ。有り難いことだ。採用されるとは限らないが、編集者に僕の有明海の写真を見てもらうだけでも幸運だと思う。 名刺をいつも印刷してもらっている松原のNさんへのお礼に、キャットナップのコーヒーを挽いてもらう。僕の個人用やプレゼント用に600グラム挽いてもらい、丁度キャットナップにきていたTaktの服部さんに駅まで送ってもらった。佐賀のカメラのキタムラでMamiya RB67用の50mmレンズを現状渡しで超安く手に入れたからバッグが重くなり、向こう側のホームへ渡るのが大変だった。このレンズは干潟を撮るのに使うつもりだが、撮影現場へRB67の本体(スタジオ用だからでかくて重い)と交換レンズ数本を運ぶのが大変だ。一度月の光に照らされた干潟に挑戦したいと狙っているのだが・・・ 鹿島駅からは電動アシスト自転車で20分。ペダルを踏むときには脚は痛くない。昨日の午後自転車で干潟をみに行こうと出かけたのだが、途中で後輪の空気が抜けてきてあきらめて家へ戻った。大村の田方自転車にタイヤ交換をお願いしていたのだが、まだ来てくれないから吉田さんに頼んで、地元の国広自転車店に運んでもらって修理してもらった。当主は昭和8年生まれの79歳(半年余り先輩)だったが、ほかの自転車店が次々に廃業したので、辞めたくても辞められないと。僕にとっては心強い限りだが・・・ 刈り取りを待つ”ゆめしずく” 北鹿島で唯一の国広自転車店で 龍田風神社に飾ってあった注連縄 #
by kango416
| 2012-09-14 22:05
3月9日(金)、先日久しぶりにCINEMA THEQEに寄ったら、マスターがいてしばらく話を聞いた。毎月ジャズのグループを招いているようだった。ジャズのLPを拘りの装置で聴かせてもらう。SPはJBLのウーハ、ホーンなどを組み合わせた自作のダブルウーハーの大型だった。多分数百万円は掛っているだろう。もう一台のSPは、B&Wのハイエンドの800Dの旧型のようだ。中古で百万円台で手に入れたと。アンプやCDプレイアー、ターンテーブルなどは、一坪ほどのブースに十数台棚やテーブルに並べてあった。平均五十万円だとしても一千万円近くなる。カウンターの隅にジャズ喫茶・バーには珍しくフラメンコギターとダブラのデュオの”Silkdoro Tour"のチラシが置いてるのが目にとまった。チャージが2500円だったから聴きに来ようと思ったのだった。他のジャズのグループのチャージは3500円から4000円だった。
二三日前に電話で申し込んで、今日の12時33分の電車で佐賀へ向かう。駅からバスに乗って、息子が見付けてくれた行方不明になっていたPanasonicL10と25mmレンズをもってカメラのキタムラへ行く。10か月引っ越し荷物の段ボールの中に入ったままになっていたためか、電池を入れ換えても作動しなかった。レンズの黴も酷いようなので、点検修理に出すことにする。今朝小城の武田先生から電話が入り、佐賀に用事があって出るから、李先生に連絡して夜どこかで一杯やろうとのことだった。カメラのキタムラを出たころまた電話があって李先生とどこで待ち合わせるか決めてあとで連絡すると。時間があったから途中でバスを降りてベースキャンプに寄る。それからまたバスで呉服元町まで行き、”佐賀オーディオ”を捜すことに。捜しながら路地を歩いていると、佐賀歴史民俗館旧古賀銀行の横に出た。尿意を催したので横のトイレに入り、本館に入るとそこはレストランだった。丁度佐賀は今雛祭りのイヴェントがあっていて、レトロな雰囲気のレストランでも雛祭り限定の”だご汁セット”があったので、それを注文する。一階のロビーでは、佐賀城下雛祭りのからくり人形展の会場になっていて、人形が数体展示してあり、一体は動いていた。だご汁には赤飯もついていたのでお腹はライブが終わるまでもちそうだ。 この界隈は旧長崎街道に面していて豪商や資産家の屋敷がたくさんあったようだ。ここ柳町には佐賀最大の遊里があったらしいが、そういう佇まいの古い建物は見当たらなかった。古賀銀行を興した古賀家ではひな祭りのお茶会があっていたが、その前の”佐賀オーディオ”の前で奥さんが節麺を売っていたので2袋買う。ロンドであった“プチだおん”のライブを聴きにきたときに、百田さんと一緒にきたとkろだ。オーナーの草刈さんもいたので、中に入ってしばらくいい装置でジャズを聴きながら珈琲をご馳走になった。話しは年齢のことになり、彼も昭和一桁で一年先輩でしかも満州引き揚げだった。干潟の写真などを撮っていると話すと「仁川の干潟は広かったもんね・・・」と言うではないか。小学生のころちょくちょくインチョンに行っていたわけだ。実家はインチョンで大きく事業をしていたそうだが、次男である父親は北朝鮮との国境の丹東で商売をしていたのだそうだ。インチョンの実家には演歌の大御所・古賀政男も若いころ出入りしていたと。引き揚げて来て貧乏のどん底に落ち、旧制中学校へは行かせてもらえず、中学を出てしばらく就職したが、電気器具や機械が好きで電気店に入り浸りにしていたのだそうだ。すると店主がそんなに電気製品を扱うのが好きなら、独立したらと勧められ電器店を開き、徐々にオーディオ機器を扱うようになり、数十万円から百万円を超すスピーカーやアンプが次々に売れ、昭和時代まではいい思いをしたと。 18時半になったので”佐賀オーディオ”をあとにして19時半から”Silkdoro Tour”のライブがある”SINEMA THEQUE”へ歩いて向かう。今夜一緒に飲もうと言っていた武田先生から佐賀へ向かっているが、李オンチョル先生と落ち合ってから場所を電話すると電話が入った。ライブが終わるのは22時過ぎだから、相当おくれて参加することになりそうだ。19時に会場へ入る。19時半開場だから誰もいなかったが、”Silkdoro Tour”の2人が食事をしているところだった。半ごろになると十人余り入ってきた。二三日前までは電話がなくてハラハラしていたが、フラメンコの指導者から数人で押し掛けると電話があったのでホッとしたと。それらしき女性が4~5人最前席に陣取り飲み物を注文していた。僕は写真を撮りたいからカウンターの最奥の席に座る。しばらくして隣の席に座った男性が、カメラを見て「いいカメラをお持ちですね」と話しかけてくる。堅い仕事の人のような印象を受けたので「県庁の方ですか?」と言って名刺を渡すと。名刺入れを出して自分の名刺を捜していたが、佐賀大学のマークが入った名刺が目に入った。佐賀大学の農学部の助教授のYさんだった。武田先生や李オンチョル先生を知ってるかと尋ねるとどちらもよく知っていると。ライブが終わってから2人が飲んでいるところに合流する予定だと話すと、一緒に参加したと言うではないか。 ライブは20時きっかりに2人の登場で始まった。伊藤芳輝(フラメンコギター)・吉見征樹(タブラ)。タブラのリズムとフラメンコギターの迫力のある演奏にみんな圧倒されていた。彼らは二年前までは女性バイオリニストの三人で活動していたようだが、現在は2人でFMたちかわで~てるくんとおっちゃんの”シルク道路”(毎週土曜日21:39~22;00)でパーソナリティをつとめていて、今回のツアーはそのキャンペーンも兼ねているのだそうだ。曲が終わるたびにときには途中で「おーっれ」が、最前列のグループから掛っていた。いい感じの演奏だったので、CDを買おうと思ったが、ATMで金を降ろすのを忘れていて、CDを買うと今夜の飲み代が足りなくなりそうだった。明日午後受け取りに来るからと言ってマスターに建て替えて貰って、Y助教授とタクシーを拾っていつも彼らが飲みに行く焼き鳥屋”案山子”へ向かう。Y助教授も去年まで李先生と同じ公社に住んでいたのでここらたりの地理には詳しいのだ。タクシー代は彼が払った。もう先生たちはでき上がっていたが「何で中尾さんと一緒なんだ?」とみな訝っていた。Y助教授は植物学で期待されている人らしく、武田先生とブータン行きの話しで盛り上がる。韓国から招へい教員として来ている李オンチョル先生と同じく韓国から農業経済の研究生として来ている李クントクさんも一緒だった。 すぐ近くの李オンチョル先生の宿舎に泊めてもらうことになり、歩いて帰る途中のバーにも寄る。武田先生はタクシーで小城の自宅まで戻った。とっくに零時は過ぎ時計は2時を回っていた。宿舎でもビールを飲みながらしばらく話をした。李先生とは2002年かの日韓共同干潟調査で一緒になって以来の付き合いでもう10年あまりになる。武田先生のもとで博士号をとってしばらく韓国に戻っていたが、また武田先生が退官したあと佐賀大学農学部地域資源学研究室の教員として採用されて今年で4年目になる。 旧佐賀銀行の内部 旧佐賀銀行 Silkdoro の二人 インドの打楽器・タブラの説明をする 吉見征樹さん ・・・ “FMたちかわ”とCDのPRをする オッチャンこと吉見さん ・・・ 演奏中の二人 盛り上がる会場 #
by kango416
| 2012-03-30 14:07
2月20日(月)、大村にもう一泊して、午前中汚水処理場の排水口の近くに集まっているカモを撮影に行った。去年と比べてホシハジロの数が増えている。池田の堤にホシハジロがほとんど姿を見せなくなっていたが、ここに来ていたのだ。マガモは比較的に人に慣れているのか、石の上で休んでいてなかなか飛び立たない。しかし、他のカモたちは堤防から顔を出すとほとんどが飛び立って沖へ逃げて行く。オナガガモ、ヒドリガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、ハシビロガモがいた。ときどきイソシギやハクセキレイがやってくる。コサギとアオサギもいる。ヨシガモのオスは綺麗だ。ハシビロガモのオスも羽の色は派手だが、嘴が大きく体型がややアンバランスだ。野鳥観察会の際、T先生が「下水処理場の下の海岸にオオバンが50羽前後群れていましたよ」と言って写真を見せてくれた。20羽前後写っていたが、こんな大集団は見たことはないから、ひょっとしてと思って行ってのだが、影も形もなかった。海にオオバンがいたとは珍しい。
その後バスターミナルへ行く途中、長崎のチョープロが経営しているキッチン用品の店”Kuriya”に寄る。ここには拘りのキッチン用品がたくさんあって目の毒だが、ときどき寄って手ごろな値段で気に入ったものがあれば買うことにしている。前回は玉杓子を、今回はオリーブの木でつくったへらを買った。柳宗理デザインのパンやStaubの琺瑯鉄鍋のなどが置いてあり目の保養にもなる。Staubは重いが焦げ付きにくいという。我が家にはLe Creuseのホーロー鍋が大小4個あるが、よく使う。しかし、一番大きい22センチの鍋は、焦げ付かせたり空焚きを何回かして、琺瑯にひびが入り少しばかり剥げ落ちた。Staubにしておくべきだった。松原の田中鎌工業の松原包丁も置いてあった。 午後は池田の堤を覗いてからキャットナップに行くつもりだったが、生憎日曜日は12時4分発の坂口行きのバスがないのだ。仕方がないから“いち”に寄ってラーメンを食べ、12時45分のJRで諫早へ出て13時16分の普通電車で多良へ。データーのバックアップをしてもらってDVDにもデーターを移してから、夕方の電車で我が家へ。 ときどき雪がちらついていたが、20日の朝7時過ぎに起きて外を見ると、もう陽は昇っていたが雲があって隠れていた。朝飯を食べて片付けものをしてから、9時ごろカメラを3台(E-3に18~180mm、E-5に70~200mm+1.4っテレコン、ペンタックス645Nに45~85mmズーム)とスコープと三脚を自転車の荷台に積んで出掛けた。昨夜も可なり降ったと見えて、干拓地には雪が残っていた。堤防へ上がったところにある竜神の祠のところで干潟を覗くと、もう少し潮が引きかけていて潟が現れていた。途中の観察所のところで下の捨て石を覗くと、ダイゼン、ハマシギ、シロチドリ?の群れが、潮が引くのを待って羽を休めているではないか。100羽はいただろう。 今まで見たところでは干潟には雪は残っていないようだったが、新篭の展望所に上がってみると、なんとまだ雪が解けない状態で捨て石の先に残っているではないか。慌てて645N、E-3とE-5にそれぞれズームレンズを付けて下へ降りる。すぐ近く今で凍った石の表面に用心しながら場所を変えながら激写する。ときどき陽が差して来て凍った干潟が光る。ツクシガモ、オナガガモ、マガモなどは渚線のところに広がっていて、撮影するには遠すぎる。 11時ごろ一旦家に戻って昼飯を掻き込み、今度はMamiya RB67SDproに75mmを付けて戻ったが、陽が照っていて1時間ほどで干潟に残っていた雪はほとんど消えていた。残念!!仕方がないから少し移動して新篭の荷揚げ場を覗くと、漁船が1隻桟橋に接岸していた。常広のIさんの東栄丸だった。燃料を入れに来たのだそうだ。今朝海苔を摘みに行ってきたがとても冷たかったと悴んだ手を擦っていた。またプランクトンが異常発生して海苔は色落ちをはじめ、これからいつまで摘めるか心配だと。気温が上がると海苔が腐るそうだ。「折角夫婦でおらすけんが、並んで写真に写らんですか」と言うと、ご主人が「こぎゃん面らじゃ・・・ちゃかつかあー」と返ってきた。奥さんも「よかです・・・」と。 天気もよくなってきたから、そのまま浜川河口のクロツラヘラサギと浜干拓地先の干潟を撮りに行くことにする。電池は予備を載せてきたら帰りも大丈夫だろう。鹿島川の太鼓橋を渡り干拓地を抜けて養鶏場の脇を通って踏切を横切り藤津碍子のところから左折する、石木津川の橋を渡りINAXの敷地の先から左折して、祐徳薬品の横を通って浜干拓地へ。そして線路の脇の農道を浜の南船津の集落の方へ向かう。浜大橋を目指しているのだが、そこへ入る道が判らない。ハウスで作業をしている人に尋ねてお寺の脇を抜ける道から大橋へ続く道に出た。大橋を渡ってクロツラヘラサギの塒を見に行ったら、潮が引いた潟に餌を求めて飛びったったのか1羽もいなかった。双眼鏡で河口部の干潟を捜したが見当たらなかった。 今度は冬の干潟を撮影するために浜干拓の堤防の先端にある荷揚げ場へ向かう。途中の昔の船溜まりにはもう係留してある漁船の数は少ない。船の発着に便利な堤防の外の荷揚げ場に船を繋ぐようになってきているのだ。自転車を広いコンクリートの桟橋に停めて冬の干潟を撮影していたら、軽トラックが近付いてきて停まった。「なんばしよっとですか。潟にゃ何もおらんでしょうもん」と声を掛けてきたのは、ムツ掛けの第一人者の原田さんだった。彼は諫早にムツ掛けに来ていた頃からの知り合いだ。江湖をハンギィーに乗って渡るところを見たことがあったが、調子がいいときは数時間で千匹前後のムツゴロウを掛けていた。もう一人白石町の有明に干潟漁のベテランの井崎さんがいるが、彼は去年の春、ムツ掛け中に脳梗塞で倒れたので現在ムツ掛けでは原田さんの右に出る人物はいないだろう。「去年からウナギ掴みば中島先輩について行って習いおると。面白かよ。ムツ掛けと違うて道楽じゃけん」と言う。中島さんは二回ほど話を聴きに行き、撮影を申し込んだことがあるが、まだ実現していない。今度暖かくなったら、師匠と弟子を一緒に撮影できるかもしれない。 雪が残っている干潟に降りたアオサギ オナガガモ♂ マガモ♂ オナガガモ ヒドリガモ ヨシガモ 東栄丸のIさん夫妻 船着き場へ向かう東栄丸 生きもの姿がない冬の干潟 冬の浜干拓地先の干潟 #
by kango416
| 2012-03-19 13:04
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