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12月のサマリー(1)

 2月5日(日)、このところ日本列島は、寒気団に覆われ連日大雪や気温低下で大荒れだ。佐賀県も2月に入って急に気温が下がってきて、2日は未明から雪になり、山間部はもとより平地でも積雪をみた。1日の午前中、干潟を見に行ったら、干潟の表面が凍っていた。雲の切れ間から見える天山の上半分は真っ白に雪が積もっていた。2日は朝7時過ぎに吉田さんに電話をしたら、佐賀空港の隣の広場で「佐賀農業祭」があっているから、8時半ごろ迎えに行くとのこと。カントリーエレベータ12月のサマリー(1)_b0163674_1344474.jpgーで待ち合わせをして、Mさんのローレルで会場へ向かった。会場に着いたら雪が降り出し北風が会場の大テントに吹き付けていた。早目に貰った弁当を広い食堂兼観覧席で済まし、各支部対抗の芸能などを観てから、別の大テントの農機具の展示を見て回る。大型のコンバインやトラクターは、1千万円近い。他にも色々な農機具が要るわけだから、個人で購入すると相当な負担になる。田植え機やコンバインは共同購入をしているようだ、。

 3日の朝は7時過ぎに干潟を撮影に行く。前日の降雪が干潟に積もって凍っているのではと予測して、カメラもディジタルを2台(E-3/E-5にズームレンズ)とペンタックス645Nに45~85ズームレンズを付けて、自転車の荷台に載せる。期待に胸を膨らませながら堤防への坂を上る。船着き場へ下る階段のところから干潟を見ると、期待通り干潟の小さな澪筋が白く凍っていた。今度は排水機場の排水門のところへ移動、干潟を覗くとかなり広範囲に干潟が白く凍っていた。カメラを3台、頸と肩に掛けて捨て石のところまで降り、干潟のすぐ近くまで近付く。220のフルム1本をあっという間に撮ってしまった。干潟の表面が凍っているからか、シギやチドリ、ズグロカモメも姿を見せない。沖の澪筋にはカモが少しはいたが・・・

 新篭りの展望所の前の干潟は、澪筋がほとんどないので白く凍ってはいなかった。新l篭りの荷揚場に行くと、沖から海苔を痛で来た漁船が1隻戻ってきた。近付いて海苔をポンプでトラックのタンクへ移す作業を撮影する。しばらくするともう1隻が戻ってきて反対側の桟橋に船を付けて、海苔が入ったコンテナを抱えてトラックの荷台に載せ始めた。こちらは結構しんどい作業だ。「よか海苔の採れおっとでしょう」と言ううと「またプランクトンの出たけん、栄養不足になって色落ちしよると」と。植物性プランクトンが発生して栄養塩の奪い合いになっているらしい。

 12月3日は、佐賀大学の李オンチョル先生が、長崎の帰りに波佐見に寄ってたまたま見つけた韓国家庭料理の店「ゆうや」に行くことになった。3日が開店一周年になるそうで、開店祝賀会を会費2000円で開くということを知り、武田先生、李先生、吉田夫妻に僕の6人で行くことになった。李先生は自分の車で、僕たち5人は吉田さんの奥さんの車で行くことに。バイキング形式だったが、どの料理も美味しかった。マッコリとビールとワインを注文。ビンゴゲームがあり一等はハワイ旅行だったが、吉田さんは焼酎の4合瓶が当たった。

 12月4日は、僕にとっては三輪坊・大凶だった。午前中、田方自転車がもって来てくれた後ろの荷台を取り付けたので、そのテストを兼ねて自転車で写真散歩に出掛けたのはよかったのだが、我が家から200メートルほどのところの田んぼで、玉ねぎを植えていたのだが、そこで子供が二人あそんでいたから、なるべく気付かれないように近付いて撮影しようと考えて、自転車を荷台に645Nと望遠レンズとスコープを載せたまま水門の陰に停めた。ところが離れようとしたらハンドルが急にくるっと回って、倒れそうになり、慌ててハンドルを戻して倒れにくいような態勢にして、二三歩歩いたとき、”ガチャーン、ポチャーン”と音がするではないか。振り返ると、自転車が水門側に倒れ、籠の中のバッグも何もかもクリークの中に!!バッグは浮かんでいたが、中身は水没。ただスコープだけはバッグに入ったまま浮いていた。慌ててスコープが入ったケースは、手を伸ばして拾い上げたが、ズームレンズ付きのペンタックス645Nと望遠ズームレンズと三脚は水没。一瞬飛び込もうかと思ったが、深さが判らず急いで家まで戻り、こうもり傘と熊手を捜しだして引き返し、ネックストラップを引っ掛けて引き揚げ、レンズと三脚は熊手を使って掻き上げた。しかし、完全に水が中に入

12月のサマリー(1)_b0163674_13471363.jpgっていたので、修理できるかどうかはメーカーに出すしかない。全部だめならば、20万円弱の損失ということに。つい1カ月ほど前にも、自転車で転倒してE-5と12mm~60mmズームレンズペンタックス645Nのボディを修理に出したばかりだった。

 午後夢木香の社長と設計士が見えて、最終の見積書が提示された。しかし、59万円ほど予算オーバーだった。夕方武田先生が吉田さんのところに見えたついでに我が家に寄られたので、佐賀のカメラのキタムラまで送ってもらい、水没したカメラとレンズをもって行く。そして645Nの中古ボディと45mm~85mmズームレンズの中古を捜してもらうことにした。テレコンバーター1.4倍は修理に出すことに。

 12月5日は、昨日のことが気になって気分がすぐれず、ふて寝して9時過ぎに起きた。午前中はPCに向かい、いくつかのメールに対応。午後浜まで行くつもりで自転車で出掛けたが、途中三部と新篭りで玉ねぎを植えているところなどを撮っていたら、浜まで行く時間がなくなる。

 12月17日の夕方は、キャットナップで待ち合わせをして、今度のイヴェント“Koto Mori”の準備で龍頭泉の憩いの広場へ行く馬場さんの車で一緒に行くことになった。憩いの広場は防衛省の大野原演習場に接していて、広大な草原が広がっている。移動カフェの“フムカフェ”のマスター、松原のOさんが来ていて焚き火の準備をしてくれていた。ログハウス風のバンガローにオーディの機器やCD,LP,資料などを運び込む。山下さんたちがマウンテンバイクを運んでくる。標高が400mを超えているから、日が沈むと冷えてくる。Taktの服部夫妻が、ワインと豚マンなどを差し入れてくれたので、焚き火を囲んでワインとビールを飲む。少年山荘Pの山田親子は、大きな燻製器をもちこんでソーセージやチーズの燻製を始めた。このイヴェントを企画したキャットナップのマスターの坂元さんは、珈琲豆の注文がたくさん入って、発送の準備に追われていて、零時を回るころ上がってきた。それからしばらく話をしてから寝袋に入った。しかし、夏用の寝袋では寒くてなかなか寝付かれなかったが、6時過ぎには野鳥の声で目が覚めた。シロハラ、ヒヨドリ、ホオジロ、シジュウカラ、メジロ、キジバトなどの声が聴こえてきた。7時過ぎにはもうTakata Cycle の助っ人たちがやってきて、マウンテンバイクの組み立てを始めた。参加者は9名(店):珈琲焙煎・移動カフェ・陶磁器・森の中の遊び(フリスビー)・似顔絵・古本・手作りの服・森のジャズ喫茶・バードウォッチング。それぞれテントやバンガローで店開き。一か月足らずの準備期間だったから、広報ができなかったが、その割には結構覗きに来てくれていた
ようだ。

 一昨日の午後、息子から電話が掛ってきて、9日に鹿島へ着いて13日に東京へ戻ると。息子が所属しているバンドのひとつ・”プチだおん”が、2月10日から12日まで九州ツアーで福岡と佐賀に来ることになっている。佐賀は11日の19時からジャズバー・ロンドで、福岡での10日は「カフェ アリワ」で、12日は「カイ」で演奏する。メンバーは3人、多田葉子(サックスほか)、中尾勘二(トロンボーンほか)、関島岳郎(チューバほか)。僕は連れ合いと一緒にモモタフォートの車で行くことにしている。最近リリースしたCD”オドラデクのルンバ”のキャンペーンを兼ねているようだ。



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波佐見町の韓国家庭料理の店“おんや”
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焚き火を囲んで・・・
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マウンテンバイクの試乗・・・
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珈琲焙煎教室
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森のジャズ喫茶
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陶磁器でボタンづくり
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参加者たち・家族や子どもと一緒が多かった
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少年山荘Pの山田さん・フリスビーで遊ぶ道具を組み立てている・・・
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珈琲と軽食を担当したフムカフェのブース
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# by kango416 | 2012-02-05 17:17

11月のサマリー(1)

1月17日(火)、昨日は午後から雨になったが、打って変って快晴、日の出が素晴らしかった。ブログは11月3日の「唐津つくんち」以来二カ月あまりアップしていない。ときどき会う知人が「どうしたんだ。体調でも悪いのか」と言うので復活することにする。先ずは11月のサマリーから始めることに・・・・
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 11月4日はお世話になったNさん宅を8時過ぎに出て、七山経由で古湯温泉へ。先生が親しくしている鶴霊泉で一風呂浴びてアルコール分を抜いてから佐賀駅まで送ってもらう。11月も12月も出掛けることが多く、また、土地の名義変更の手続きやリフォームの見積もりなどで気持ちが落ち着かず、PCにゆっくりと向かう気分にならなかった。その上11月に入るとPCのモニターの画面が暗くなりそのうちちらちらするようになる。さらにプロバイダーのbiglobeでのメールが繋がらなくなった。引越しで書類を入れたファイルが行方不明になったままですぐには修復できない。大村のベスト電器にモニターのことを頼んだのだが、対応が遅く代わりのモニターが届いたのは12月も終わりに近かった。それまでの期間は、画像の検索も文章を打ち込むのも画面が暗くて見えづらく、作業の能率は格段に悪かった。

 11月7日は、吉田さん一家と笹栗さん詣でをしてから、飯塚のKさんの山荘を訪ねた。数寄屋造りの凝った家で、茶の湯を意識したつくりになっていて、調度品も素晴らしかった。人間国宝クラスの陶芸家がつくった茶碗でお茶をいただく。池田満寿夫が描いた華やかな屏風が、茶室の控えの間に置いてあった。帰りには茅葺の和風レストラン“茅乃舎”に寄って珈琲を飲む。レストランは満席状態だった。

 11日は、突然武田先生から電話があり長崎へ。五島嵯峨の島の漁師の小出さん(四十数年前からの先生の知人)が、歯の治療のため長崎に出て来ているから一緒に飲もうということになったのだ。僕も十年ほど前一度嵯峨の島の撮影でお世話になったことがあった。武田先生は前日から出て来ていて、主治医の角町先生と三人で飲み歩いたらしい。正午ごろ長崎駅に着くと先生が車で迎えに来てくれ、小出さんの定宿の県庁近くのサウナへ回って、三人で賑橋近くの共楽園へちゃんぽんを食べに行く。その後伊王島へ新しい橋を渡って行く。小出さんは二日酔いらしく元気がない。大村湾に面した長与の温泉・喜道庵を覗いたりして時間を潰して長崎に戻り、サウナの前の韓国焼肉店・ローランで落ち合う。散髪に出掛けた小出さんが戻るのを待って、銅座へ繰り出す。先ず知り合いの“ワインバー田舎”へ。マスターは佐田まさしのコンサートに行ってるとかで8時ごろにならないと戻ってこないと。奥さんの幸恵さんも来ていると。小出さんの娘さんも参加して4人でワインや焼酎を飲む。僕はマスターと奥さんが戻ってくるまで残って、仲間内のライブを聴いてから最終電車で大村へ。

 11月12日は、太良町環境協会主催の「多良海道をさらく」に連れ合いと参加。太良町と鹿島市の境界の矢答(標高400mあまり)までバスで移動。そこから太良町役場まで蜜柑畑の中や植林の間を歩くことになった。沢沿いの林の中にイノシシのぬた場があった。鹿島市から太良町の有明海に面した丘陵地帯は、40年ほど前、国の肝いりでミカン栽培のパイロット事業が行われ、雑木林や畑が次々とミカン畑に変わって行った歴史がある。しかし、過剰生産と輸入自由化によって価格は暴落して、栽培面積は現在は最盛期の五分の一までに減少していると。そのためかミカンは枝もたわわに生っているのに放置されているところが目立った。植物に詳しい渡辺さん(多良・金泉寺の管理もやっている)が参加していて、植物の名称をいくつか教えてもらった。
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 16時ごろ図書館の前で記念写真を撮ってから解散したが、電車まで時間があったから、堤防のところに腰をおろして蜜柑を食べていると、軽トラックが停まて網袋と肘まである長い手袋をもった男性が降りてきて、階段を下りて干潟へ向かって歩いて行った。何を捕りに来たか興味があったので、双眼鏡で覗くと、石をおこして何かを掴んで袋に入れていた。どうもカニのようだった。20分ほどしたら戻ってきたので、網の中身を見せてもらったら、モクズガ二が数匹入っていた。「どこからですか?」と尋ねると「七浦から、今夜の焼酎のつまみにすると・・・」と笑って答えた。秋になるとモクズガには海に下って産卵するから、メスには卵が詰まっていて美味なのだ。

 家に戻って夕食の準備をしていたら、吉田さんが五家荘のもろみ漬けの豆腐と孫会長の叔母さん(90歳前後の)がつくったというキムチ(飯塚のKさんが送ってくれた)をもって来てくれた。豆腐はちょっとしょっぱいがチーズのようで、酒の肴には最高だと思った。早速日本酒を飲みながら舐める。

 11月16日、6時過ぎから準備して、7時に船着き場へ。快晴で日の出が美しい。昨日乗船撮影をお願いしておいた裕香丸の小柳夫妻は7時20分ごろタンクを積んだトラックでやってきた。石橋さん夫妻も摘み取った海苔を入れるコンテナを20個積み込んである栄達丸に乗り込んだ。彼らはまだポンプとタンクを積んだトラックを導入していないのだ。「旧式ですたい・・・」と言う。7時40分ごろ桟橋を離れて塩田川の江湖を下ってゆく。まだ潮が引いているので、干潟の中の川(澪筋)をゆっくりと進む。もう日はかなり高く昇っていて、海面が逆光に輝いている。10分ほどで小柳さんの海苔床に着く。本船を床の隅の海苔竹に舫ってから、海苔摘み機を載せる箱船を下し、エンジンを取り付けて、二人乗り込んで海苔網が張ってある所へ向かう。沖の方から満ち潮に逆らわないように箱舟を網の下にくぐらせて摘み取りを始める。箱舟が海苔でいっぱいになると本船に戻ってきて、ポンプで吸い上げて船倉に移し、また海苔網のところへ戻って同じ作業を繰り返す。凪いでいるから作業は捗り、2時間余りで2コマ分を摘み取った。

 11月20日、カメラのキタムラとKuriaに寄ってから、11時過ぎの列車で松原へ。キャットナップの坂元さんが企画した古本市があっていたので覗いてみたのだ。松平さんも参加していて、藤田嗣治の「エコールド・パリ」という本を出していた。欲しかったが、結構な値段が付いていたのであきらめた。嬉野からきている人から新書を数冊買った。あとで田中専務が、田中鎌工業の工場に案内してくれた。油圧式の動力ハンマーが4基あった。

            
11月のサマリー(1)_b0163674_13291879.jpg 11月23日、”ネイチャー佐賀”主催の観察会「多良川源流をさぐる」に連れ合いと参加。太良役場集合だったが、都合のいい電車がなかったので、事務局にお願いして鹿島駅前で嬉野の会員にピックアップしてもらった。雨が降ったり止んだりの天気だったが、車に分乗して中山キャンプ場へ向かう。途中わき道に入ってナガサキシダを捜す。そのあと中山キャンプ場の駐車場へ上り、説明と注意がある。多良岳には大村側や諫早側からは50年以上の間登ってきたが、太良町側からは初めてだ。晴れ間も出てきて観察会は実施できることになり、多良岳・金泉寺の佐賀県側の多良川源流を目指してゆっくり登る。どうも僕が最高齢者のようだ。遅れないように心がける。山頂まで1時間20分と会ったが、二倍は掛るだろう。二時間ほどで源流と表示してある少し開けたところに着く。すぐ下の流れにはカスミサンショウウオがいた。13時ごろキャンプ場へ戻り、食事の準備に取り掛かり、飯と豚汁と焼肉で昼飯だった。世話係の人たちは食材や用具の準備が大変だったに違いない。

 ここで久しぶりにイノシシに出遭ったのだが、たまたまその時はカメラをもっていなかったのだ。残念無念!トイレに行ってちょっと林道を上がっていたときにイヌに追われて林道を駆け下りてきたのだった。成獣ではなかったようだが、迫力があった。

 11月26日、吉田さんのトラックで大川内山へ。吉田さんの知人の公文窯や招き猫を焼いている星の谷窯などを覗く。27日は武田先生に肥前山口駅でピックアップしてもらい、大川市の“イタリーフェステバル”へ。29日は吉田さんにお願いして、不調のモニターをベスト電器まで運んでもらい、キャットナップに寄り、それから黒木へ。知り合いの炭焼きの井川さんから木炭を一箱買う。

 他所に出かけないときには、我が家の周りで農作業を撮ったり、船着き場や堤防に行って、漁船や干潟、野鳥を撮ってすごしていた。ツクシガモの数が徐々に増えてきたが、まだハマシギなどは数が少ない。

11月のサマリー(1)_b0163674_13415669.jpg長崎市思案橋通り”ワインバー田舎”にて
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「多良海道をさらく」
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玉ねぎ植え
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塩田川河口の船着き場・日の出

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海苔を摘む
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摘んだ海苔をポンプで吸い上げる
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公文窯の展示館・古材を使った茅ぶき

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松原くんち二日目・元旅館の二階で古本市が・・・

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ネイチャー佐賀主催の自然観察会「多良川源流をさぐる」
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ナガサキシダ
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大川内山・招き猫の星の谷窯にて
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会場で会ったイタリア在住の彫刻家・長谷川氏(大川出身)
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大村市黒木の井川さん(年中炭を焼いている)
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大豆刈り・コンバインで
# by kango416 | 2012-01-20 11:17

唐津くんちを堪能する (1)

11月3日(木)、今朝は7時過ぎに起きて朝飯を食べて、唐津くんちに行く準備をする。E5に11~60ミリズームを付けたのとペンタックス645Nに45~85ミリズームレンズを付けたのと45ミリF2.8レンズももって行くことにする。フィルムは220と120を数本と予備のフィルムパックも2個。予備の電池やCFカード(4GB)を2枚。双眼鏡と望遠ズームもザックに入れる。泊めてもらう波川家でひょっとしたら寝袋がいるかもしれないと武田先生が言うので、羽毛の封筒型寝袋も詰め込む。ザックは重いうえにパンパンに膨れ上がった。9時半に久保田駅で武田先生の車にピックアップしてもらうので、9:03の電車に乗らなければならない。8時半に重いザックを担いで自転車に跨り駅へ向かう。
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 今日はバルーンフェスティバルがあっているから、鹿島駅のプラットホームは子ども連れの人たちで溢れんばかりだった。乗れるのかなと心配していたら、電車は6両編成だった。先生から大川で長谷川さんを拾って久保田駅へ向かっているが、混んでいるので着くのは30分を過ぎるかもしれないと電話がある。電車も数分遅れていたので、食お他駅の改札口を出てたら先生はもう着いていた。長谷川さんに初対面の挨拶をする。彼は大川出身でイタリアのトリノに住んで木彫をしている彫刻家だった。若いころヨーロッパに憧れ上京し、ヨーロッパへ渡るコネを捜していて、たまたまイタリア女性と知り合い、アタックして結婚まで漕ぎつけ夢をジルゲンした幸運な人のようだ。お母さんが高齢なためここ数年は、1年の半分は大川の実家へ戻って親孝行をしているのだそうだ。勿論彫刻刀と素材はもってきていて、実家の台所で製作kしていると。

 多久市をを抜けて相知町を過ぎしばらく走ると山本に出て、松浦川沿いに走ると唐津市街に入る。山本駅は明治30年の半ばごろ祖父が駅長をしていて、親父はそこの官舎で生まれたのだそうだ。明治38年の冬。そのあと諫早へ転勤したらしい。祖父はよく松浦川のコイ捕り名人・まーしゃんの話しをしていたのを思い出す。武田先生は2005年ころから唐津くんちに招かれていて、くんちで知り合った人や佐賀大で教えた学生の実家とも近しくしている。今度も唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_10145737.jpgそこに泊めてもらうことに。先生の車のトランクには清酒が5本積んであり、今日午後お世話になる家に先ず配って回った。峰電器店、井上建材店、吉田和充さん、波川さんなど。先生と唐津を繋いだのは、2003年だったか日韓共同干潟調査の際、唐津の中村牧師と吉村先生が参加したことがあり、その縁と教え子の家のリフォームをしたのが、先生の自宅をリフォームした夢木香だったことで繋がったわけだ。

 僕と長谷川さんは曳き山が通る道路のところで降りて曳き山を撮影することにして、先生は酒を配って車を駐車場に入れることにして別れる。唐津神社の例祭の曳き山は国の重要有形民俗文化財に指定されていて、豪華な14の曳き山がお旅所の浜明台へ向かうのだ。初めてのことで撮影ポイントがよく判らなかったが、お旅所へ向かう曳き山が回って駆け抜ける角のところで撮影することにした。長谷川さんはどこかへ消えてしまった。僕はカメラ2台だからフットワークはあまり軽くはないので、動かないことにした。曳き山が半分ほど通り過ぎたころ武田先生から、そろそろくんちのご馳走を食べに行かないかと電話があった。慌てて長谷川さんを捜すが見当たらない。仕方がないから唐津神社の方へ歩いて行くと、人手が多くて急ぎ足では歩けないほどだった。鳥居の脇には懐かしい”お化け屋敷”が興行していて、さかんに呼び込みをしていた。

 長谷川さんはなかなか見つからないから、先生にその旨電話して元の場所に引き返して曳き山が全部通り過ぎるまで待つことにする。曳き山がお旅所の方へ向かい見物人も少なくなったので、最初の場所へ行くと、長谷川さんが手を揚げたのでほっとした。すぐに武田先生に電話をして合流すべく、旧唐津銀行の建物へ急ぐ。時計を見たら15時を過ぎていた。(つづく)

唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_1017537.jpg唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_10214845.jpg唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_10232644.jpg唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_1049518.jpg唐津くんちを堪能する (1)_b0163674_1052177.jpg
# by kango416 | 2011-11-24 09:56

五の宮神社の獅子舞

Ⅰ0月18日(火) 16日に瑞穂町の頓宮際に行って大村に泊まっていたら、17日の朝から北鹿島三部の北村さんから「今五の宮さんの獅子舞の来とるよ」電話がある。「大村にいるからすぐには五の宮神社の獅子舞_b0163674_10465394.jpg戻れないです」と言うと「あとで区長さんのところに祝儀を二千円ばかい筒んのでもって行って」と。あとで聞くと12日の注連縄立てから18日の注連縄倒しまでの1週間、赤獅子と青獅子は北鹿島の千軒のどの家々を門付けして回るのだそうだ。獅子舞いの踊り手に選ばれた4人は大変だ。お下りとお上りのときにも舞って、あと一日200軒ほど門付けをして回らなければならないのだそうだ。17日の夕方我が家に戻って玄関のカギを開けようとしたら、戸のの桟に緑と赤の房のようなものが引っかかっていた。何だろうと思って手にとってそのまま郵便受けの上に載せたのだった。後でよく考えてみたら獅子舞がきた証拠として面のひげの部分の繊維を挟んでいったのではないかと気付いた。それで土間の上り框に置いている招き猫の耳にひっかけたのだった。本来なら神棚に供えるべきなのだろうが・・・

 井手の吉田さんに電話をして尋ねると、今朝は当番の土井丸の区長さんの家では注連縄倒しをするから、獅子舞いをやってるはずだと教えてくれたので、8時半ごろ家を出て自転車で土井丸へ向かう。塩田川の堤防を上り五の宮神社の鎮守の森の方へ進む。見覚えがあるお寺のところへ来るともう注連縄を張ってあった大きな妄想竹は重機を使って倒しているところだった。だから獅子舞の奉納は終わっていた。区長さんがいたのでご祝儀を渡す。自転車で戻ろうとしていたら、近くの家の庭から「わぁーわぁーわぁーっ・・・・」と獅子舞いの掛け声が聴こえてくるではないか。慌ててその家の方へ自転車で向かうと家の玄関先で赤獅子と青獅子が舞っていた。最後は玄関から中へ入って土間で舞っているようだった。縁側から座敷に上がって舞うこともあるようだ。

 出てくると家の人が「被せてください」と言うとそれぞれの獅子の面を頭の上にかざす。家内安全・無病息災を願うわけである。二人の先導役の一人が家人が差しだすご祝儀を受けとって次の家へ向かうのだが、続けて三軒ほど回ると舞い手の四人は息が上がって汗だくになっていた。昔は酒も振舞われていたから大変だったそうだ。家と家の間が離れている場合は、舞い手と面は家トラックの荷台に乗って移動していたが、車がなかったころは歩いて回っていたはずだ。一〇軒ほど回って元区長をしていた大きな構えの家に着くとひとしきり舞うと家の中に入って二十分ほど出て来なかった。喉をうるおし軽く食事をしたのだろう。出てきたとこrで先導役にお願いして四人の舞い手と二人の先導役を撮らせてもらった。

 一時間あまり追いかけただろうか。そのあとは北鹿島の氏神の五の宮神社へ行ってみた。ちょうど氏子の人が数人幡幕を外したり濡れた幟を干したりしていた。可なり歴史がある神社のようで、奈良時代の建立と説明板には書いてあった。14日がお下りで16日はお上りだったが、14日の夜は雨だったので撮影は断念、16日は先約があったため諦めた。来年度は僕が住んでいる三部地区が獅子舞を奉納する判に当たっていると聞いているので、練習の様子から撮影できそうだ。

 吉田さんは井手の獅子舞の指導をしたこともあるようで、獅子のことが詳しい。地区に寄って掛け声も所作も微妙に違うと教えてくれた。掛け声も土井丸は「わぁーわぁーわぁーっ・・・」だったが「やぁーやぁーやぁーっ・・・」とか「ばぁーばぁーばぁーっ・・・」というところもある。舞うときに舞い手が顔を見せるのは練習不足だとかいろんなことを教えてもらった。赤獅子が♀で青獅子が♂だそうで「二匹の獅子が首を延ばしてじゃれ合うような者差をするが「シラミとり」と呼ぶのだそうだが、吉田さんは「あれは交合を表しているのではないか」と言っていた。子ども獅子舞もあり、幼稚園生などが演じているが可愛いものだ。

 

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子ども獅子舞い

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・・・・

# by kango416 | 2011-11-21 10:31

雲仙市瑞穂町の〝屯宮祭”へ

 10月16日(日)、去年から雲仙市瑞穂町の八幡宮の奇祭”屯宮祭”を撮りに来ないかとUクンに誘われていたのだが、去年は他の行事と重なって実現しなかった。今年こそはということで連れ合いと一緒に参加することに。7時の列車で諫早へ向かい、長崎本線に乗り換えて湯江駅で降りてUクンが迎えに来るのを待つ。8時半過ぎに車に乗り込み締め切り堤防道路を対岸の雲仙市へ向かう。天気が良くて雲仙も多良山系もよく見えた。中央の展望所で車を停めて展望台へ。堤防の内側にはカモがちらほらと渡ってきていた。
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 大衆駅を過ぎてから右へ入りしばらく走ると幟が数本立っている家が見えてきた。屯宮祭で神様役をする人の家だそうだ。伊福八幡宮の手前の家の門口には幟が数本立ててあり、坂を上って行くともう近所の人や親せきの人たちが集まって祭りの準備をしていた。庭先にはテントが張られ、テーブルにはご馳走が並べられていた。神様役の6人衆に選ばれた家では、出発する前に儀式をしてそのあとは宴会に。50名以上の人た陽が、座敷とテントにつくられた席について昼間から大宴会が始まった。Uクンがご祝儀を包んでくれていたので、僕らもテントの席に招じ入れられビールや酒と鉢盛りのご馳走をいただく。正午ごろになると若愛男性たちが旧宅に入り女装を始めた。神様を載せたリアーカーを曳く人たちだ。ここ宮嶋家では職場の同僚や同級生が曳き役に回っていた。

 屯宮祭の起源は400年昔に遡るようで、宇佐八幡宮から分神をここ伊福まで運んだ6人衆を讃える祭りで、併せて五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全などを祈念して行われてきたようだ。出発の挨拶があり、神様になった当主は抱えられてリヤカーに乗り込み、賑やかに出発して町内を巡り歩くのだ。何人かのお供のものは、酒を入れた竹筒を提げていて、出会った人たちに酒を振舞うわけだ。神様は地面に足を付けてはならないという約束事があって、祭りの間の三日間は乗り物に乗るか背負われるか抱きかけれなければ移動できないわけだ。それぞれ6台の神様を載せたリヤカーは、町内を曳き回されて1時間ほど経ったら神社の下に集まり、あとは一気に境内へ引き揚げられ、神様は神社の中へ担ぎ込まれて、神事が始まる。そのあと6人は中で飲み明かすことになるらしい。二日目も神事があり、三日目は子ども相撲などが奉納される。それが終わるまでは神様は我が家へは変えられないのだ。

 神様が神社の中へ入って神事が済んだので、僕たちはUクンの知り合いの宮本さん宅を訪ねることにする。2年前に古い民家を浜松建設に依頼して改装した家で、いい感じに改装されていたが、可なり経費が掛ったであろうと思われた。ご主人は転勤族のサラリーマンだが、奥さんの実家を改装して住むことになったのだと。奥さまはご主人の作業部屋(木工)を雑貨を扱う店舗にして金土日の三日間開けている。家の見学を兼ねて訪れる人が結構いるようだ。連れ合いも気に入った小鉢とペーパーウエイトになる石を買った。ご主人は木工をするための作業場と車庫を建てていて、バンドソウが作業場の真ん中に鎮座していた。テーブルや椅子も作っていると。座敷に招じ入れられ、美味しい珈琲とお菓子を戴く。部屋の中が整頓されていて気持ちがいい。我が家はこうはならないだろう。まだ小屋の改装の見積もりは来ていないから、いつから着工するのか気になる。来年の4月までには住めるようにしてもらいたいのだが・・・

 16時過ぎにまた堤防道路を通って湯江駅まで送ってもらい、夕暮れ迫る有明会を眺めながら鹿島の我が家へ。今日は久しぶりに楽しく撮影ができた。

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挨拶をする神様・6人衆の一人 

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出発前の祝宴

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和太鼓のアトラクション

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仮装した曳き手たち

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神様は集落内を曳き回される

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孫と一緒の神様

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神様は背負われて社殿へ

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社殿に集まった六人衆、これから二泊三日のお籠りがはじまる

# by kango416 | 2011-11-05 18:49